宮本和知

1964年、山口県生まれ。下関工業高校卒業後、川崎製鉄水島に入社。84年にロサンゼルス・オリンピック日本代表の投手として金メダルを獲得する。同年、読売巨人軍にドラフト3位指名、翌年に入団。当時の投手陣で貴重な左腕として力投を続け、3度の胴上げ投手になるなど華のある活躍を見せた。97年の引退後も明るく爽やかなキャラクターが人気で、キャスター、レポーターなど多岐にわたって活躍している。2年前から葉山に移住し、小学生の軟式野球チーム「葉山巨人軍」の総監督を務めている。


 

プロスポーツ選手は食べることもプロでなくてはいけません。経験から言って、一流選手のほとんどが食を大事にしています。「食べることなんて二の次」という一流選手もいましたが、そういう人は活躍できる期間が短かったように思います。

ぼくも野球に精進することと同じくらい、食事に気持ちを注ぎました。ポイントは2つだけ。旬のものを食べることと、楽しく食べることです。

巨人軍での現役の晩年に「投手会長」を務めていました。当時の投手陣は桑田、槙原、斎藤、水野など、そうそうたるメンバー。彼らをまとめる役目を担っていたというわけです。投手というのは本質的に一匹狼で、だからこそ結束が大事なんですね。他人のことなど知らない、自分だけが頑張ればいい、というのではなく、「おまえの分まで俺が踏ん張る」という連帯意識がチーム力を底上げします。単に仲よくなるだけじゃなく、意見を出しつくす、野球観を確認し合うなどして心を通わせる。移籍してきた投手がいれば、すぐに溶け込めるように臨時の懇親会を開きます。うまいものを食べて、少し飲んで、そういう空気の中で結束は固まっていくんです。

その甲斐あってか、当時の巨人軍は「投手王国」と評されました。懇親会を企画し始めた当初は、「ピッチャーが群れてどうするんだ」と陰口を叩かれたものでした。でもやっぱりプロは結果なんです。勝っていくうちに雑音は消えていきました。ただ、遠征先での食事会は翌日の先発投手だけが欠席する決まりだったので、見る人が見れば先発投手がわかってしまったかもしれない(笑)。

葉山に住むようになり、あちこちを散歩するうち、吸い寄せられるように「山ふく」に入りました。暖簾をくぐった瞬間、自分の勘は正しかったと嬉しくなりましてね。雰囲気の温かさ、料理の丁寧さ、おいしさ、店を切り盛りするご夫婦の人柄、全部がビンゴ。女将さんはお若いんですが、「葉山のおふくろさん」と呼ばせてもらっています。

「Fiji」は、ぼくの大好物がふんだんに食べられるお洒落な店。その時季の一番うまい牡蠣が出てくるところがいい。若い2人のスタッフが一所懸命にやってます。さらにもう一軒、「キッチンオレンジ」というオープンしたてのビストロもいい。若いシェフの創意が行き渡っていて、応援したくなっちゃいます。

どうも、長州人気質というのか、応援することが好きなようです。地元で軟式野球チーム「葉山巨人軍」を指導しています。小学生のチームですが、みんなやる気があって礼儀正しく、活気がありますよ。

大勢が熱気を持って一つになること。そういうことをサポートするのが心底好きなんですね。