80年代を代表する大学といえば、男子13位の亜細亜大学だ。今回の調査ではここにしか登場しない。「あの頃の本学は、本当にパワーがあった」と振り返るのは、キャリアセンターの市川隆幸部長だ。「入試の志願者数は今の3倍の3万人。偏差値は60あり、国立大学を蹴って来る学生もいた」。
当時の衛藤瀋吉学長のスローガン「偏差値より個性値」の言葉通り、一芸入試で芸能人を集め、海外留学制度AUAPも脚光を浴びた。まさに、国際化時代の先端を走っていた。「当時の学生が役員や取締役になり、大学を支えてくださっている」と市川氏。
80年代後半から90年代前半、亜細亜大学は企業開拓に成功したこともあり、大企業だけでなく中小企業にも、大量に就職していった。離職率が低く、まだ社会には亜細亜大卒は多い。「人口の多い団塊ジュニア世代で、名門大を落ちたものの、入試で生存競争に勝ち残った学生たちが入ってきたのです。だから『名門に負けるものか。なにくそ、コノー!』という粘り強く元気な学生が多かった。そこも企業から歓迎された」(市川氏)。
学力を問わない推薦・AO入試の学生が増え、家計の事情からか海外留学者数も半減し、まるで日本経済の盛衰に合わせるかのように、今の亜細亜大には往年の勢いはない。「先輩、後輩や教職員と熱く語り合うような、コミュニケーションの場も減りました。上下関係を嫌う学生も増えています。あの時代の元気な卒業生との交流の機会を増やし、もう一度、活気を取り戻したい」(市川氏)。
(浮田輝雄、武島 亨=撮影)