熱中症は一種の「延命治療」?

僕は「患者さん本人の好きなようにするのが一番」という考え方なので、僕の診療所には基本、認知症の人は来ない。来るのは、「延命治療はしたくない」という本人の明確な意思がある人です。ときどき認知症の人もいますが、それは認知症になる前から診ていて、家族が本人の意思を尊重するとわかっている場合だけ。だから、僕の患者さんやその家族からは「熱中症で困った」という話も聞きません。

救急車の中のシニア患者
写真=iStock.com/SetsukoN
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現代の医療が作り出した認知症

認知症の人も、最初から本人の好きなようにしていたら、認知症が完成する前に死を迎えるのではないでしょうか。というのも、認知症は怖い病気ではなく、医療によって“つくられた”、一人では生きていけない状態だとも思うからです。

現代医療は、病気を治して治して老化をごまかし、とうとう治せない「認知症という状態」まで生きられるように発展してきました。けれども、ケースによっては、そこに至るまでのどこかの段階で、つらい治療や通院を選ばないことができていたら、より自然な形で逝けたかもしれないなぁと思うのです。

認知症の人はある意味「勝ち組」

もしも本人が望んで認知症になるまで生きられたのなら、皮肉ではなく、それはそれでめでたいこと。認知症になることは、死にたくない人と、死なせたくない家族にとっては、むしろ望むところで“勝ち組”の形なんです。

「とにかく長生きしたい、死にたくない」と考える人は、完全に認知症になる前の4、5年間、認知機能がしだいに衰えることを自覚しながら「この先、自分はどうなってしまうのか」という恐怖を感じると思います。家族に「あれしちゃダメ、これもダメ」と行動を制限されて好きなようにさせてもらえないようなら、なおつらいですよね。

でも、その途中の苦しい時期を乗り越えて、完全に認知症になってしまえば、死のことを考えずに済むようになります。もはや、「自分が死ぬかもしれない」ということすらもわからない。死にたくない人は、頑張って完全な認知症になって、死のことがわからなくなるのも、幸せかもしれません。

僕は「本人の好きなようにさせるのが一番」というスタンスなので、もし自分なら、たとえ認知が衰えていたとしても、「熱中症になっちゃうからこうしなさい、ああしなさい」なんて言われたくないなと思います。恐ろしい病気にかかっているわけでも、恐ろしいものが迫りくるわけでもない。親に死んでほしくない子どもにとっては恐ろしいものかもしれません。でも、それを乗り越えたら親が死なずに済むか? と言うとそうではないのです。