共生は「思いやり」では成り立たない
この男性の行動に、私は心の中で拍手しました。しかし、こうした個人間の譲り合いや、たまたまその場に居合わせた「善意の人」が存在しないと優先の問題が解決できないのでは、あまりに心もとないと言わざるを得ません。
最近よく「共生」あるいは「合理的配慮」という言葉が、困難を抱えている人やさまざまな事情から優先を必要としている人たちにたいして、「周りの人たちが手をさしのべて助けよう」との主旨で使われます。
しかし、本来これらは配慮を要する人たちへの思いやりを啓発するための言葉ではありません。
「共生」とは「共に生きる」であって、周囲の人が困っている人に手を差しのべる美談で社会を満たすことを夢みる言葉ではありません。
抱える障害や困難の有無によって分け隔てられることなく、互いの人格と個性を尊重しながら共に生きる社会をつくること、そのために社会の側にある障壁を減らしていこうとすることが本来の意味です。
「合理的配慮」も同じです。困っている人への特別扱いや、善意による施しを意味する言葉ではありません。
全面禁止にすべき“慣行”
障害のある人が、社会にあるバリアのために不利益を受けているとき、それを過重な負担のない範囲で取り除き、他の人と同じように利用できる状況を整えるための調整を意味するものです。
こうした視点から、これまで述べてきた問題にいかに対処すべきかを考えてみましょう。
繰り返しますが、居合わせた人や気づいた人の善意に依存しない対処法の検討です。
まずおこなうべきは、エレベーターや優先席の機能を広く再確認してもらう作業です。具体的にはポスターなどの掲示だけでなく、駅や車内での多言語によるアナウンスです。
エスカレーターで運べる荷物はエレベーターを使わないようアナウンスするとともに、いまだに改善されない“エスカレーターの片側空け”の慣行もすべての駅で全面禁止とすることで、エレベーターを使わずとも安全に荷物を運べる環境を作ることも重要です。
そして大きな荷物を運ぶ人については、車内への持ち込みや駅構内での移動を減らすべく、配送や預かり所の利用をうながす制度設計も望まれます。

