「年収」を追ううちに「年齢」で選ばれなくなる
年収条件だけではありません。年齢の影響もあります。皮肉にもそれは年収条件とも密接にからみあっています。
たとえば、20代の女性が結婚相手の年収希望を追い求めて婚活しても、条件に合致する相手は婚活市場には存在しません。いたとしても婚活市場に流れてくる前に完売しています。
「適当な相手がいない」と次々に候補を消去していくたびに、無駄に時間だけを浪費し、ついには男性側が求める条件である「年齢の若い女性」という条件から外れていくことになります。しかも、その間、自分の年収も上がるわけですから、ますます年収条件も上げ続けることになります。その結果、「年収で選ぶべき相手がいない→年齢で選ばれなくなる」という悪循環が生まれます。
これは男性にとっても同様で、20代のうちは「年収が低いと結婚できない」とがんばって女性の求める年収を達成したとします。しかし、その時点で仮に35歳になっていたら、もう婚活市場では「おじさん」扱いで、俗に「おぢアタック」などといわれて避けられようになってしまいます(「おぢアタック」とは、35歳以上で8歳以上の年下にアプローチすることを指します)。
男も女も八方ふさがりです。
昨今の婚姻減少の本質的な問題がここに凝縮されています。年収条件が若者の結婚を阻害し、時間を無駄にした挙句、年齢条件で男女とも対象外となってしまう。条件検索で相手を値踏みする婚活は、結局自分自身が値踏みされて選ばれない「結婚できない活動」と変わるのです。
「最初に条件ありき」の闘争からの脱却を
これは単なる個人の問題ではなく、婚活市場全体の需給ミスマッチであり、条件前提の婚活が図らずも招いた自爆装置なのかもしれません。
単に「条件を下げましょう」「妥協しましょう」と条件の最適化を図るのではなく、根本的に結婚とは何かというものに向き合う必要があります。年収いくら以上の完成品を探す婚活は不毛です。「最初に条件ありき」という条件闘争から脱却し、20代の若い時には、趣味や関心の一致する人の出会いとつながりに心掛け、そうした出会いを演出するお膳立てが求められてくるでしょう。
最近、自治体では、婚活と銘打つのではなく「友活」や「趣味の集まり」という形で若者を集め、そこでの交流を結果としての結婚に結び付けようという良い動きが活発化しています。地元のスポーツチームを一緒に応援するイベントや肉好き・酒好き・犬好き・猫好きなどの「好きを共有するイベント」などが効果的です。
少子化対策としての子育て支援は出生増につながらないどころか、かえって子育てコストを高騰させ、結婚や子育てにはお金がかかるという意識のインフレを増長させてしまいました。同様に、結婚を増やしたいからといって表面的な婚活支援もまた的外れになるでしょう。
結婚を増やす、子どもを増やす前に、まず若者が笑って過ごせる場所と機会を提供する。マッチングアプリなどデジタルツールの発達により条件闘争化してしまった人との出会いを、アナログでリアルな場に取り戻すことが必要なのではないでしょうか。
完成品を探すのではなく、一緒に完成品を作りたいと思える相手と出会うために。

