リタイア後に待ち構える世界では「こんな老人が好かれる、嫌われる」。有識者・介護のプロの面々から異口同音、まったく同じ回答が――。
「上」にいた人が新卒・見習に
一生働く覚悟を余儀なくされそうな世代が、「引退したら何をしよう? 」などと想像できるか否かはひとまず置いて、男性が夢想する“理想の老後像”はおしなべて独善的だ。よかれと思ってはいても、妻や周囲の心の内をまったく汲んでいない。「一緒に世界旅行に行こう」などと妻に切り出した夫が、「あなたとだけは行きたくない」と唐竹割りにされ、果ては三行半を叩き付けられる事例はよく知られている。
こうした悲喜劇は、なぜ性懲りもなく繰り返されるのだろうか。
「夫婦の間に『突然』はありえません」
天野周一・全国亭主関白協会(全亭協、福岡県)会長は、そう言い切る。「夫からは突然に見えても、妻からすれば『ありがとうを1度も言われたことがない』といった何十年もの蓄積の結果なのです。そこにも気づかぬ亭主が多い」。
忍耐を強いられる側は感情を蓄積していくが、強いる側にはその自覚がない。しかし、それを容認してくれる男社会からは、リタイアと同時におさらばしなければならない。
リタイア後の世界は、それまでの男社会とは構造上の決定的な違いがある。そこに気づくか気づかぬか、気づいてもその違いを素直に認め、順応できるか否かが、その人の老後の幸せ度を決めるといっても過言ではない。
「第二の人生と言いますが、本当に“第二”なんだぞ、と肝に銘じるべきです。でも、多くの男性は第一の人生で築いたものを、捨てる必要こそなくとも『脇に置く』ということがどうしてもできない。“一”の継続とか、“一”の思い出をどうこう思っているなら、幸せな老後を望むのはおやめなさい、と言いたい」――『幸福の方程式』などの著書がある山田昌弘・中央大学教授は、老後の世界では「ゼロから生きる覚悟が必要」と力説する。
「上の立場にいた人が、新卒や見習の立場に戻らなければならない。しかし、基本的に上下関係の中で生きている多くの日本人男性には難しい。それが嫌で、いきなり中間管理職になろうとするから顰蹙(ひんしゅく)を買う。そのようにしか振る舞えないのなら、そういう方だけで集まって、思い出の中だけで生きればいい」(山田氏)