まずは金ヶ崎城をめざす

登城は金崎宮の参道から。石段を登った先が境内だ。

1890(明治23)年の創立と聞くと随分新しいが、その由緒は南北朝時代にまで遡る。御祭神の尊良(たかなが親王と恒良(つねなが親王は、ともに後醍醐天皇の子息、つまり南朝方だ。

2人は新田義貞とともにこの地へ落ち延びるも敗れ、金ヶ崎城は落ちる。前者は自害、後者は捕虜となり京で謀殺されてしまう(諸説あり)。境内には落城の際、尊良親王に殉死した321人の武士を祀る絹掛神社も鎮座している。その左脇から遊歩道が延びていた。