絶対王者が陥った「成功体験」という罠

これにより、キリンHDは三菱グループの結束の核である「三菱金曜会」の席を得ながらも、社風や意思決定において、ビール会社としての独自性を強く保ち続けることになったのです。アサヒスーパードライが台頭するまで、戦後長きにわたりキリンは国内ビール市場で首位を保持していたという王座の歴史があります。

しかし、その圧倒的な地位が、後に大きな苦い教訓を生むことになります。1990年代、アサヒビールの「アサヒスーパードライ」が大人気となり、キリンビールにとっては大きな脅威となりましたが、当時のキリンビール社内には、伝統的な看板商品である「キリンラガービール」への強いこだわりがありました。

当時の佐藤安弘社長が現場を回った際、若手社員から「ラガーと一番搾り、どちらを売るべきか」と質問されたところ、上司の課長が「ラガーはどうなっているんだ?」と叱責したというエピソードが残っています。

このエピソードは、「お客さんの気に入ったものを買っていただく」という商売の基本よりも、「自社の歴史ある商品(ラガー)にこだわる」という内向きな考えが現場に残っていたことを示しています。この、客の嗜好を読み誤ったラガー偏重が、キリンビールのシェア低下を招いた苦い教訓となりました。

「稼げているうちに壊す」という経営判断

シェア低下と高コスト体質に悩む中、キリンは思い切った構造改革に踏み切ります。東京、広島、京都、高崎の国内4工場閉鎖という、極めて大胆な決断でした。これらの工場は、閉鎖当時赤字になっていたわけではありません。

しかし、高度経済成長期に生産量が急増したため、その後の国内市場の規模に対しては供給能力が明らかに過剰であり、コスト削減が不可欠でした。キリンHDは長年ビール事業に重きを置いてきましたが、2000年代以降、その事業ポートフォリオを大きく変え始めます。

傘下にワインのメルシャン、清涼飲料のキリンビバレッジ、医薬の協和キリンなどを擁し、「食から医へ」というスローガンのもと、ヘルスサイエンス領域の拡大に注力しています。

また、ビールや医薬の礎となった発酵バイオテクノロジーという独自の技術を活かし、プラズマ乳酸菌などの素材を販売するヘルスサイエンス事業を、ビール・飲料、医薬に次ぐ第三の柱として育成することに集中しています。

赤いハート
写真=iStock.com/leolintang
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