仏教は、悟りや修行で苦や煩悩を克服する

こうしたことはイスラム教のモスクでも見られる。モスクには水場が用意されていて、そこで浄めてから礼拝に臨む。イスラム教の創唱者であるムハンマドの言行録である「ハディース」は、コーランと並んでイスラム法であるシャリーアの法源とされる重要なもので、そこには、礼拝の前にいかに浄めるかということが相当に詳しく記されている。

この点で、神道とイスラム教のあり方には共通性があると言える。ただし、キリスト教のカトリック教会でも、その入り口に「聖水盤」が設置されていて、信者はそれに指を浸し、十字を切る。果たしてこれを浄めとしてとらえていいのかは難しいところだが、水に神聖な力があるとする点では共通している。

一方で、仏教の場合には、穢れという観念はない。仏教の立場からすれば、穢れは外面的なものに過ぎず、重要なのは人間の内面にある苦や煩悩になる。それは悟りや修行によって克服すべきものであり、たとえ禊のようなことを行ったとしても取り除くことはできないと考えられている。だから、基本的にお寺には手水舎はないのだ。