武田勝頼軍が鉄砲で戦えなかった理由
もちろん、人を殺すことに軽重があってはならないのは言うまでもありません。でも、自分の持つ刀を振り回してみずからの体を通じて相手の命を刈り取ることと、鉄砲や大砲をぶっ放して敵をなぎ倒すこととの間には、罪の意識という面で相当な違いがあると僕は思います。
1560年(永禄三年)、織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を破ります。その8年後に将軍・足利義昭を奉じて京都に入ります。こうして京都を支配下に治めました。そこから10年も経たないうちに信長は、長篠の戦いで武田勝頼軍を破りました。このとき活躍したのが鉄砲隊です。まさに新兵器の出現です。
信長は、鉄砲を撃つときに必要になる黒色火薬をどう用意したのでしょうか。その主成分となる硝石と硫黄と、それに鉄砲鍛冶が必要になるのですが、なかでも硝石は日本では採れない鉱物でしたから、堺の交易権を押さえることで国外からこれを独占的に入手できたのではないかと僕はにらんでいます。
逆に言うと、武田も鉄砲に早くから注目していたと主張する研究者がいますが、海をもたない武田では硝石を入手できない→鉄砲を有効利用できない、と考えるのが合理的でしょう。
鉄砲の出現が平和な時代を導いた?
鉄砲によって大量の人を一瞬で殺せるようになり、刀で斬り合うよりは心身ともに、「殺人のハードル」は下がったのかもしれません。一方で、鉄砲の出現で逆の発想をした人もいたのではないかと思います。つまり「このままいくと、これまでとは桁違いの犠牲が出続けることになる。それなら戦わないでおいた方がいいんじゃないか」。そういう考え方が出てきてもおかしくない。
大勢の人が死ぬようなことが常態化すれば、「もういい加減、たくさんの人が死ぬのは見たくない。人が死ぬのはうんざりだ」という気分が生まれてくるんじゃないか。だからこそ、戦乱の世が続いたあとには必ず平和な時代がやってくるし、武将自身にも大勢の人を殺すことへの倦厭感があったんじゃなかろうか。
そういう問いと仮説を立てて検証してみる。歴史研究を「点」ではなく「面」で見る。歴史の流れをつかむ。僕が提唱する「歴史の見方」において、中学生でも考えつくような質問をつねに持ち、それに対する答えを考える、という姿勢は意味のあることだろうと思っています。


