「女性・女系天皇」を容認した女性初参加の会議
初めてそれが実現したのは、平成17(2005)年に設けられた、小泉内閣の下での「皇室典範に関する有識者会議」においてだった。そこには心理学者の岩男寿美子氏と、国際政治学者の緒方貞子氏が加わっていた。注目されるのは、この有識者会議で、女性天皇や女系天皇を容認する報告書がまとめられたことである。
それ以降になれば、こうした会議に女性が含まれるのは当然のことになった。平成29(2017)年の岸田内閣の下での「『天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議』に関する有識者会議」でも、3人の女性が加わっていた。
この2つの有識者会議では、皇室典範の改正が中心的な問題になったわけだが、それ以前の時代においては、そうした場に女性が関わるということはまったくなかった。
そのことは、笠原英彦氏の『皇室典範 明治の起草の攻防から現代の皇位継承問題まで』(中公新書)を見れば明らかである。この本では、明治時代に最初に皇室典範が作られたときのことや、戦後にそれが新しく法律として定められたときの経緯が詳しく述べられている。そうした議論の過程に女性はまったく関わっていなかったのだ。
皇室が次代の天皇を決めてきた「伝統」
明治時代の議論では、女性の天皇を認めるという考え方も持ち出され、皇室典範の草案に盛り込まれたこともあった。しかし、その作成作業に関わった井上毅の強い反対で、男系男子による継承に限定されることになったのである。
男性だけで物事を決めれば、どうしても男性中心にことは進んでいく。もしも平成17年の有識者会議が男性ばかりで構成されていたとしたら、はたして女性天皇や女系天皇を容認する報告書が作られただろうか。それはかなり疑問である。ただ、このときの報告書は、悠仁親王が誕生したことで棚上げされ、皇室典範の改正は行われなかった。
日本国憲法の第4条では、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されている。そのため、天皇や皇族が皇位継承のあり方などについて発言することは、国政への関与として否定されてきた。
しかし、天皇や皇族は当事者であり、これからの皇室をどのようにしていくかについて、それぞれが考えや意見を持っているはずである。実際、明治に時代が変わるまで、藤原摂関家や武家政権などの意向に左右されることはあったものの、誰が天皇になるかは皇室によって決められてきた。それを「伝統」ととらえることもできる。

