実際の寧々も美人だった?
秀吉には当時、側室の南殿、そして秀吉と南殿との間に生まれた子・石松丸がいました(石松丸は天正4年10月に死去)。一方、秀吉とおねの間には子はいませんでした。おねやその周囲の女性たちが秀吉の子を持つ南殿に嫉妬心を抱いていたとしても不思議ではありません。おね派と南殿派で冷戦が繰り広げられていた可能性もあります。
信長は秀吉の言葉からそうした状況を知り、書状において「品行を正して、かみさま(上位者の妻)らしく重々しくして、悋気(男女間の嫉妬)に関わるのはよくないことだ」との言葉をおねに与えたと推測されます。「かみさまらしく堂々としていよ」との信長の言葉におねは救われたのかもしれません。
若い頃のおねの容姿について詳しいことは分かりませんが、信長が容姿を褒めていることや(もちろん信長は書状においておねを持ち上げた上で諭すことが目的であり、どこまで本心を述べているかは分からない)、女好きで知られる秀吉がおねに一目惚れしたとの逸話も残っていることから、美しい人だったのではないでしょうか。
・参考文献
田端泰子『北政所おね』(ミネルヴァ書房、2007年)
福田千鶴『高台院』(吉川弘文館、2024年)
福田千鶴『豊臣家の女たち』(岩波書店、2025年)



