“セツを愛していた”からこその苦悩
気分的に嫌なだけではない。すでに40歳を越えた八雲は、当時では初老ともいえる年齢だ。少なからず印税収入もある。「自分に万が一のことがあれば、わずかな財産もヤツらのものになってしまいかねない」という不安もあった。
すべてを断ち切るには、自分が日本人になるのが最適解なのだが、そうなった途端に給料を下げられるかもしれない。
そんなバカなと思うかもしれないが、八雲の不安は杞憂ではなかった。実際、後に八雲が東京帝国大学の講師となった時も外国人教師待遇を維持し、年俸は4800円(月給400円)だった。ところが八雲の後任となった夏目漱石は、帝大と一高を合わせても年俸1500円(月給125円)。日本人であるというだけで、給料は3分の1以下になるわけである。
つまり、八雲は「独身生活が長かったから、いきなり結婚はちょっと……」などと躊躇していたわけではない。セツを心から愛していたからこそ、いま涙を呑んで正式には結婚できなかったのだ。
愛すべき松江が“ジゴク”に
しかし、当時の松江の人々はそうは受け取らなかった。
「ああ、やっぱりそげなことか。先生もお好きだげなわ」
八雲の苦悩など知る由もなく、人々はセツを洋妾呼ばわりしていたのである。
愛すべき松江が、いきなり地獄になった。
そんなことで大切な思い出にケチがついたのだから、松江を去るとき、八雲は心の底で泣いていたかもしれない。
それでも、出雲の神々、あるいは生神女(ギリシャにおける正教会のマリア様)は二人をずっと見守っていたのだろう。


