新聞にも報じられた“蔑称”
松江滞在時、八雲は松江では有名人であった。なにしろ、島根県ではもっとも優秀な生徒が集まる中学校の外国人教師である。かつ月給も100円という高給取りだ。もう道を歩いているだけで目立つし、訪問してくれれば店でもなんでもそれだけで鼻が高い。いわば、土地の名士であり大スターだ。
こうした「洋妾」という蔑称は、新聞報道にも表れている。当時発行されていた「山陰新聞」は、八雲の動向を執拗に追いかけていた。それも重要な出来事だけではない。なんでもいいから八雲に関する話題を掲載しておけば読者が喜ぶとばかりに、些末なことまで記事にしていた。
例えば1890年11月18日付では、八雲が寺社に参拝した際にきちんと賽銭を出して祈る理由を尋ね、さらに西田千太郎の見舞いに出かけたことまで報じている。1891年7月26日付では、八雲が関西旅行に出かけただけで記事にした。
ここから先は無料会員限定です。
無料会員登録で今すぐ全文が読めます。
プレジデントオンライン無料会員の4つの特典
- 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
- 約5万本の無料会員記事が閲覧可能
- 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
- 記事をブックマーク可能
