「名誉ある孤立」を選んで生きる

出世競争には興味がないので、常に誰ともつるまないし、誰をも羨まない。いつだって自分は自分、誰々がこうだから自分も……など比べては考えない。自ら主体的に人づきあいのあり方を選んでいく。

かくして私は、心して「名誉ある孤立」を志向して生きてきました。

黄昏の海辺に立つシニア男性
写真=iStock.com/kimberrywood
※写真はイメージです

名誉ある孤立を選ぶ人は、ただ「我が道を行く」というだけで、別に誰とも敵対しようという気持ちなどありません。だから、何かを頼まれたら、できるだけ親切に心を尽くして対応する、とくに自分より目下の人にはいっそう親切にと心がける、そのくらいのつもりでいたほうがよいのです。

親切といっても、目上の人や権勢家に対しては腰を低くしてヘイコラし、しかし、目下の人には横柄不親切……なんてのでは、なにもなりません。そういうのは「巧言令色こうげんれいしょくすくなじん」というので、もっとも嫌がられる人柄、それこそ不名誉な孤立に陥るというものです。

だから誰に対しても悪意でものごとをやらない、そこが要諦であって、その上でしかし、世の中の虚礼のようなことには原則として関わらない、という心がけが名誉ある孤立の一丁目一番地です。

「やる価値があると思うこと」だけやる

そうすると、やがて人は

「あの人はいつもそうだから、しょうがないよ」
「変わっているけれど、悪意のない人だね」

と見てくれるようになるでしょう。

世の中が、誕生日だ、ヴァレンタインだ、母の日だ、結婚記念日だ、クリスマスだ、なんだかんだとプレゼントなどをやりとりして、しまいにそのことにがんじがらめになっている……そんな風景をよく見かけますが、私は原則として、プレゼントはしない方針です(まあしかし、孫どもへのお誕生日プレゼントくらいはしますけれどね……)。

その分、できるだけ頂かないようにもしています。俗世間に生きている以上、完全にそれを徹底することも難しいので、まずは最低限にささやかに、というのが原則であります。要はそういう「行き方」で筋を通すということなんです。

「彼は誰に対してでも一貫してああいうふうだから、しょうがない」
「ちゃんと一本筋が通っているから、あれはあれでいいんだろう」

と認めてくれる人もやがて現れます。

仕事を頼まれたときには人一倍きちっとやる。でも仕事以外のどうでもいいことには最初から関わらない。見栄や欲を出さない。一貫してそういうふうにする、この割り切りが大切なのです。

やる価値があると思うことはやる。やる価値がないと思ったらやらない。そういう割り切りというか、独自の価値観を持つことが、特に高齢になってからは非常に重要です。