主人公の喜久雄に向けられた演技指導
ご承知の通り『曾根崎心中』と申しますのは、近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いた最初の世話物で、ちなみに世話物とは江戸時代当時の現代劇とでも言いましょうか、大阪は堂島新地の遊女お初と、醤油問屋の手代、徳兵衛の、この世では決して結ばれぬ心中事件を元に書かれたものでございます。
〽 此の世の名ごり 夜も名残 死にに行く身を譬うれば あだしが原の道の霜 一足ずつに消えて行く 夢の夢こそあわれなれ 徳兵衛 あれ数うれば暁の 七つの時が六つ鳴りて お初 残る一つが今生の 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽と響くなり
一途な恋ゆえ心中へ。手に手をとりました二人が曽根崎の森への道行の名場面でございます。ぜえぜえと肩で息をしながら喜久雄が演じ終わりますと、徳兵衛役を買って出て稽古相手になってくれている俊介が、
「喜久ちゃん、今日はもうええやろ」と、声をかけてくれますが、すぐにベッドから半二郎の声が飛びまして、
「そんな水っぽい芝居で舞台に立てるかいな! いっこも生きてへんわ。ええか? あと一つ鐘が鳴ったら、アンタ死ぬんやで。死ななならん悲しみと、大好きな男と死ねる喜びとがないまぜや。それがいっこも伝わって来てへんねん。舞台でちゃんと生きてへんから、死ねへんねん!」
(吉田修一『国宝 上 青春篇』朝日文庫)
前作から歌舞伎を「匂わせ」ていた?
「曾根崎心中」という作品の成功は、女形の役者が「大好きな男と死ねる喜び」という近代の学校教育とは乖離した際どい感情を、どのように演じるかにかかっている。歌舞伎役者は、舞台の上で繰り返し心中したり、名誉の死を遂げることで、何度も観客から喝采を浴びる、何とも奇妙な稼業である。
吉田は『国宝』の直前に執筆した『犯罪小説集』で、「曾根崎心中」「女殺油地獄」など近松門左衛門の作品を思い出させる「五文字のタイトル」を、各短編に付けている。この点を考慮すれば、吉田は数年前から上方歌舞伎に着目していたと考えることができる。
映画版「国宝」のパンフレットに掲載された李相日監督のインタビュー記事によると、映画「悪人」が公開された頃から李監督は「歌舞伎の映画を撮りたい」と考え、リサーチを重ねていた。吉田にも歌舞伎の話をしていたらしい。映画「悪人」の公開が2010年だから、この頃から映画「国宝」の萌芽は準備されていたことになる。
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