本丸と天守のある場所が違う?

総見院から清洲城へは、東海道本線の線路沿いを南西へ。面影も何もないが、かつての美濃路にあたる。この先に清洲宿、そして清洲城もそばにあった。歩行者のみの路地へと入りさらに進むと、ほどなく清洲古城跡公園(図表3の②清須市古城448)にたどりつく。鬱蒼うっそうとした緑に覆われた微高地。その先が五条川の右岸土手、対岸に朱色の展望回廊が印象的な光景が現れる。

清須古城跡公園の丘には「右大至織田信長公古城跡」の石碑
撮影=今泉慎一(風来堂)
清須古城跡公園の丘には「右大至織田信長公古城跡」の石碑

天守は川向こうだが、川土手に野面積みの石垣がある。発掘調査で発見された「本丸南側の石垣」を再現移設したもの。見つかった場所は五条川沿いの右岸。川の流れはおそらく大きくは変わっていないはず。清洲城の本丸は、実は右岸=西側にあったのだ。

発掘後に移設復元された清洲城の貴重な石垣
撮影=今泉慎一(風来堂)
発掘後に移設復元された清洲城の貴重な石垣

あまりに美しすぎる清洲城天守

「大手橋」と名付けられた朱色の橋。橋&天守の組み合わせが写真映えするせいで、大半の清洲城(図表3の③清須市朝日城屋敷1-1)の写真はこの橋越しに撮影したもの。本当は、橋のこちら側が本丸なのだけれど……。このように、近現代になってから再建された天守には、本来あるべき位置と異なる場合も多い。