賢い秀吉は8歳で寺に入れられた

秀吉と秀長の生家は貧しく、継父・筑阿弥が「病気」(『太閤素生記』)だったとすると、生活はより厳しいものになったに違いない。『甫庵太閤記』は、幼時より秀吉が聡明であったので、親が出家させようとしたとの記述がある。

当時、百姓・町人の子弟が幼少時に寺院に奉公することは一般的であった。いわゆる「読み・書き・算盤」を学ぶのである。同書によると、秀吉は8歳の頃に尾張国光明寺の門弟となったが、僧侶になるのを嫌がり我儘わがままに振る舞ったという。

同寺の僧侶らは秀吉を僧侶にすることはできないとして、生家に送り返そうとした。