似顔絵シール機は需要が低く、大失敗
プリントシール機の誕生は1995年。ゲーム会社のセガとアトラスが共同開発した「プリント倶楽部」は1997年6月末時点で累計出荷台数が約2万2000台に上るヒットとなり、「プリクラ」の愛称とともに大ブームを巻き起こした。女子高生たちは撮影したプリントシールを「プリ帳」と呼ばれる手帳に貼って持ち歩いていた。プリントシールの交換も大流行し、枚数が多いほど人気者の証しと認識されていた。
一方、オムロン(現フリュー)は1997年、社内でエンタテインメント分野の新規事業を開始し、プリントシール機事業に参入を決めた。当初はオムロンの「顔認証技術」を使って「似顔絵シール機」を開発し、他社との差別化を図ろうとしたが、大失敗した。
創業者の田坂吉朗氏が利用者である女子高生に徹底的なヒアリングを実施、不調の原因を探ることに。調査の中で、写真のシールにニーズがあり似顔絵は求められていないことが分かり、以降ユーザーへのヒアリングはフリューにおけるプリントシール機企画・開発の基幹となっていく。
フリューは、プリントシール機の筐体、およびソフトウェアを一括して開発している。筐体のデザインから美顔加工まで、すべてブラッシュアップできる点も強みだ。
「美白」機能を打ち出して売り上げ1位に
その後、当時のメイクトレンドだった「美白」機能を打ち出して1999年に発売した「ハイキーショット」で、同社は初の売り上げ1位を奪取する。
入社後、2000年代前半にプリントシール機の企画を担当していた榎本氏も、ユーザーから「わかりにくい」「使いにくい」といった意見が出た点についてはすべて改善することに決めた。
「調査を進めるうちに、画像処理が10年ぐらい変わっていないことに気づき、写りを良くすることに重点をおくべきだと考えた。プリントシール機でライティングをしっかり行い、写真をきれいに撮影したうえで画像処理を行うように方針を転換した。利用者は理想の自分になりたくて撮影している。その自己肯定感をしっかりと満たさなければ支持されない」(榎本氏)

