自衛隊に甘えていると取られかねない動きが…

ただ、「どんなお願いも、笑顔で引き受ける自衛隊」に対し、徐々に甘えとも取られかねない動きが出始めた。そのひとつが鳥インフルエンザ対策だった。

2004年3月、山田啓二京都府知事(当時)が自衛隊の支援を求める考えを表明。陸自側は当初、災害派遣の要件である「緊急性」や「(自衛隊でなければできない)非代替性」に合わないと判断し、「防疫事業」としての消毒要員の派遣にとどめた。しかし、感染拡大を受け、山田知事は「これを災害と言わずに何を災害と言うのか」と批判した。結局、自衛隊側は災害派遣を認めたため、これ以降、伝染病に感染した家畜の殺処分などの防疫事業も災害派遣として扱われることになった。

B氏は当時を「防衛庁長官と京都府知事が知り合いで、派遣ありきで話が進んだと記憶しています。あの話がきっかけで、豚コレラの殺処分などにも出動する羽目になりました」。B氏によれば、大量の死んだ鶏や豚の処分に付き合わされて、トラウマになった隊員も少なくなかったという。

また、2003年の十勝沖地震では、自衛隊が災害派遣された際、牛の飲料水を供給する作業が「災害派遣」なのかどうかで議論が巻き起こった。B氏は「クマ被害の場合、人が死んでいるから、災害派遣とは言えるでしょう。でも、十勝沖地震の時は断水しましたが、被災者の飲料水は確保されていました。牛の飲料水がないことが、果たして災害派遣なのか、という議論が起きました」と振り返る。しかし、地元国会議員たちの意向も忖度した結果、「牛が死んだら、人々の生活が成り立たなくなる」という論理をひねり出し、災害派遣と相成ったという。