「人生を全うした」と感じる高齢者

安楽死の合法化が進み、実施件数も着実に増えている欧州で、最近特に注目されているのは、「人生を全うした(completed life)」と感じている75歳以上の高齢者を対象に、「耐え難い苦しみ」や「不治の病」などの医学的要件を満たしていなくても安楽死を認めることを目指す動きである。

この運動はオランダで始まり、2020年に法案がオランダ議会に提出され、物議を醸した。提出した中道リベラル派「民主66党」のピア・ダイクストラ議員は「人生に苦しむ高齢者には、自ら選んだタイミングで死を迎える機会が与えられるべきだ」と主張した。(Right to Life news、2024年1月15日)。

しかし、キリスト教連合などの強い反対に直面して、法案は否決された。その後、民主66党は2023年11月、安楽死を希望する高齢者に終末期カウンセラーとの面談を義務付けるなどの修正条項を加え、法案を再提出した。しかし、依然として他党からの反対が多く、2025年12月現在、採決の見通しは立っていない。

加えて医療専門家や倫理学者から、「自律性のみを重視する新しい安楽死法案は既存のデューケア(ある状況下で常識的な人間が払うべきであろう注意義務や行動を指す)を危うくし、社会的に弱い立場にある個人に社会的な圧力をかける可能性がある」との懸念が示されている。

つまり、「人生を全うし、社会的な役割も終えた」と感じている高齢者の安楽死を認めるために法的要件を緩めてしまうと、社会的に弱い立場にある人々が意図に反して安楽死を強制される事態に陥りかねないということである。

このように強い反対を受けている新しい安楽死法案だが、オランダ議会に複数回にわたって提出されたことで、個人の自律性の欲求、社会的に弱い立場にある人々の保護への懸念、そして終末期の意思決定における医療専門家の役割などを交えた国民的な議論に発展している。ヨーロッパでは、安楽死をめぐる議論は新たな段階に差し掛かっているのである。

病床の母親の手を握る娘
写真=iStock.com/Motortion
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日本で法制化に向けた議論が進まない理由

ひるがえって日本ではなぜ安楽死の法制化に向けた議論が進まないのか。

そもそも日本は、積極的安楽死や自殺幇助を支持する人の割合がヨーロッパの国々と比べて非常に低い。

東京大学大学院医療倫理学の瀧本禎之准教授らが2025年1月に発表した、オンラインによる日本の医師と一般市民の積極的安楽死と自殺幇助に対する意識調査では、積極的安楽死を支持した医師は2%で一般市民は33%、自殺幇助を支持した医師は1%で一般市民は34%だった。(PubMed、2025年1月20日

一方、オランダでは2024年の調査で、積極的安楽死と自殺幇助を含む安楽死を支持する人は80%にのぼっている(Right To Life news, 2024年1月15日)。

日本では安楽死よりも、患者の延命治療を中止することで死期を早める尊厳死の方がよく知られているが、こちらの議論もなかなか進まない。