91歳の元看守を禁固5年にしたミュンヘン地裁
ドイツで現在、こうした裁判が可能になっているのは、2011年の判決が背景にある。1979年に殺人罪の時効を撤廃したドイツは、今もナチの犯罪追及を続けている。
だが、捜査当局にとっては、当事者が殺害に直接関与したことを第三者らの証言などで立証しなければならないことが「壁」として立ちはだかる。時の流れとともに、直接的な証拠や証言を集めるのは極めて困難になるからだ。敗戦が濃厚になった当時、各地の収容所などで、処刑施設や証拠書類が破壊・廃棄されたことも影響している。
2011年の判決は、この「壁」を取り払った。ドイツ占領下のポーランドにあった収容所の元看守、ジョン・デミャニュク(当時91歳)に対して禁錮5年の判決を言い渡したミュンヘン地裁は、「大量殺人を目的とした収容所に勤務した事実」を証明できれば、殺人幇助罪が成立すると導いた。
デミャニュク側は「収容所の看守をしていたことはない」と反論していたが、地裁は、配属記録などから勤務の事実は間違いないと判断した。
「私は被害者であって加害者ではない」と主張
この判決については本書『終章ナチ・ハンター ナチ犯罪追及 ドイツの80年』で詳述しているが、デミャニュクはウクライナ出身の旧ソ連軍兵士だった。ドイツ軍の捕虜となった後、訓練を受けて看守になった。戦後はアメリカに移住したが、過去の経歴が発覚。イスラエルの裁判所で「別の収容所の看守」だったとして死刑判決を受けた。しかしその後に人違いが判明し、改めてドイツで裁判を受けるという、極めて複雑な経緯をたどった人物だ。
デミャニュクはドイツの裁判所では黙秘したが、「私はナチの被害者であって、加害者ではない」と一貫して主張していた。英紙ガーディアンによると、有罪判決を受けた後、弁護人は「ドイツがホロコーストに対する責任を逃れるために、外国人がドイツ人の犯罪の代償を負うべきなのか?」と憤ったという。デミャニュクは上訴したが、判決の翌年の2012年、高齢者施設で亡くなった。
この判決を追い風に、ドイツの当局は改めて訴追の可能性がある人物のリストアップを進めた。その波は今も続いている。

