「内臓のはみ出した」約340キロの巨大グマが…
次の記録もまた北海道日高地方の深山で繰り広げられた恐るべき闘争である。
四十三年初夏、静内営林署の西の沢合宿所近くで夜九時を過ぎたころ猛烈なヒグマの鳴き声が聞こえた。このあたりではヒグマの闘争は珍しいことではなかったが、翌朝ハンターが現場に行って見ると、小川の中に内蔵のはみ出した約三百四十キロの大きな雄グマが死んでいた。さらに、ここから約五十メートル離れたササヤブの中に背中をズタズタに引きさかれ、頭部を鋭くひっかかれた約百九十キロの雄グマがころがっていた。闘争の原因は発情のこじれかららしい。「発情期のヒグマは実に恐ろしい」と静内のハンター行方正雄さんもいう。(『ひぐま その生態と事件』斎藤禎男 昭和46年)
340キロの大型のヒグマと190キロの中型のヒグマとの激闘は、双方が致命傷を負う形となって終結したのであった。
仕留めた「牛」を奪い合い、たちまち激闘に
筆者の手元には他にも樺太で起きた事件の記録がある。
熊、熊と闘争して斃れる めずらしいしい軍川の出来事
五日午後三時頃、豊原郡西久保村大字軍川共同牧場で、柵内の飼い牛の頭数がどうしても不足なのであちらこちらを捜索中、場内東北の一隅に飼い牛一頭の股と首を喰い去られ、胴体を穴に埋めてある無残な屍体を発見したので、さては熊の仕業と屍体をそのままにして、なお付近各所の足跡を捜してみると、現場より百間と隔たない所に三才くらいの一頭の熊の屍体が一面、ツメ跡生々しく、鮮血で四辺を紅にして横たわっていたので、部落へ取って返し、重立ちの者と、なおよく取り調べたところ、最初二頭の熊がこの牧場を襲ったが、一頭の牛を屠った際に、その肉の争奪により、たちまち激烈なる闘争をひき起こし、甲の熊は遂に乙の熊を斃死させたものと推測されたが、同牧場の飼い牛はなお頭数が不足していて、また他の熊まで斃した熊は、さぞかし希代の獰猛な巨熊だろうと見込まれた(後略)(「樺太日日新聞」大正5年10月8日)
同じ獲物をねらって共闘した者同士が、今度は獲物の奪い合いで殺し合いを演じる。凄絶な野性の実像を見せつけられるようである。

