クマ同士の「共食い」の実態とは
筆者は明治・大正・昭和と約80年分の北海道の地元3紙を通読して、ヒグマによる事件を収集、データベース化して、拙著『神々の復讐』(講談社)にまとめたが、クマの共食い事例については極めて少ない。
上述のように深山幽谷で発生するために、私たち人間にほとんど知られることがないからであるが、筆者が入手した資料には、肌が粟立つような壮絶な実態を記したものがある。
以下はそのひとつである。
この事件は、記録者の奥山氏が北海道上川地方の愛別町で伐採事業を担当していた昭和17年4月に、朝日村との境界、天塩川支流ペンケ川一線沢で目撃した出来事である。
その頃、営林署の事務所前を通って山に入る2人の猟師がいた。夕方へとへとになって山を下りてきて、事務所でひと休みして帰る。そうした日が数日続き、奥山氏が「そんなに苦労して見込みはあるのか」と尋ねると、「見込みがあるから辛抱しているのだ」と笑っていた。ある日の夕刻、「二頭収穫したから明日、人夫を都合してくれ」という。肉は持てるだけやるというので全員が参加することになった。
現場に近づくと猟師が手を挙げて一行を制止して偵察に行き、戻って手招きした。
現場には「ドス黒い血」がべっとり
近づいて見ると、笹地と残雪の境目に漆黒の巨大な熊が横になっている。ここでは場所が悪いといって十人ほどで雪の上に引出して見るとなお大きく感じた。猟師のいうには六十貫(※編集部注:225キロ)はあるだろう。雄で七才ぐらいという。
それからもう一頭はこちらですと猟師が案内する。百五十米くらい斜下の沢寄りの方に、大きなナラの立木と風倒木の間に一頭横になっている。これは四十貫(※編集部注:150キロ)ほどで五才ぐらいのやはり雄で背筋が見事な茶褐色の熊であった。それが片腕と肩腿の毛皮がぼろぼろになって肉が無い。誰も愕然として黙視するだけでした。
猟師の話にはこの熊のどちらかが眠っているところを双方とも感づかず接近して、突然身を引くことの出来ない場面となり、漆黒の大熊と背筋茶褐色の剽豹な中熊との大格闘となったものらしい。双方の決闘は断末魔のうめきで静まった深山を震がいさせたことであろう。その場は土や石や笹の根が踏みしどり上げられて、周囲には土と小石と血が飛散っていた。ナラの木の張根がむけてドス黒い血がべっとり付いて当時の凄惨な場面を想像して身慄がとまらなかった。(「深山の出来ごと」(奥山吉雄)『寒帯林』67号)
猟師によると、それは4日前の出来事で、獰猛な褐色熊も、漆黒の大熊には敵わず、この場で打ち倒された。その肉を毎日食っては峰に上って身を隠していた大熊の通路を、猟師がひそかに狙って、ついに仕留めたのだという。
剽悍な中型の赤グマは大型の黒クマに敗れ、身体がボロボロになるほど食い荒らされてしまった。二頭のヒグマによる壮絶な死闘が、北海道の山中で人知れず行われたのである。

