岐路に立つ資本主義と経済学

今回の経済危機も、いずれは収束するだろう。それが2年程度のもので終わるか、かつて日本の経験した「失われた10年」に匹敵する、あるいはもっと長期的なものとなるか、現時点では予測できない。

しかし、これだけは確実にわかったことである。

それは、もう二度と起きないだろう、と考えられていた「大恐慌のような」危機が、やはり起きてしまった、ということである。資本主義制度や金融のシステムは、我々が信じていたようには頑強ではなく、相変わらず不安定性と不均衡を内包している、ということなのである。バブルは誰にも食い止められず、バブル崩壊後は同じように不況の痛手を受ける。このことは、為替制度がどうあるか、金融のリスク管理の技術がどうあるか、といったことと独立な本源的問題が我々の経済システムに内包されていることを示唆している。「不況の経済学」は、ケインズの時代からちっとも進歩していないと言っていい。

だとすれば、経済学はもう一度、ケインズの提出した問題に立ち返り、一から考え直す必要がある。我々の世界から不況の種は払拭されてはおらず、その原因もまだ解明されてはいない。ケインズ理論の中にヒントがあるかもしれないが、現在のままではあまりに脆弱であることは明らかだ。経済学者は、再び、解くべき難問に直面したのである。

22世紀の前に、この問題を理論的に解決し、確たる処方箋を見つけられるのか。あるいは、物理学が「永久機関の不可能性」という宇宙の根本原理にたどり着いたように、不況が資本主義の本源的存在であることを発見するのか。いずれにせよ、我々経済学者はもう一度、この難問に正面から立ち向かわなければならない。