空腹に耐えながらアメリカと戦い続けた

食料も似たようなものだ。戦前から日本はコメの消費量の4分の1を台湾・朝鮮からの移入に頼っていた。商船が激減して移入が途絶えたところに、徴兵による農業労働力の減少が重なる。昭和16年には920万トンあったコメの生産量は、昭和20年には660万トンに減った。コメの在庫も120万トンから13万トンとなった。

当然のことながら摂取カロリーも、同じ期間に一日当たり2105キロカロリーから1793キロカロリーに落ちる。厚生省が昭和16年に示した日本人の標準摂取熱量は2400キロカロリーだったが、それには遠く及ばない。日本人は腹が減った状態で対米戦に臨み、さらに腹が減っても戦い続けた。