荘園の経営を代行する金融業者も

13世紀以降の京都は、求心的流通構造によって消費が拡大して経済が発展していったが、それに伴って貸借などによる資金融通も盛んに行われるようになり、それを専門に扱う金融業者が急速に増加した。

もっとも当時の京都において多額の財を抱えるのは権門にほぼ限られており、金融は彼らの需要に応えるものとして広まった。

彼らは当初「借上かしあげ」と呼ばれたが、室町時代になると「土倉どそう」と呼ばれることが多くなった。この時代には堅固な蔵を構える業者が多くなったためと考えられる。