群雄が並び立ち相次ぐ騒乱

始皇帝の死の翌年、前209年に、陳勝呉広の乱が起きた。その後、各地で、項羽や劉邦などの群雄が次々と秦に反逆した。

即位後も中国各地をめぐった始皇帝と違い、二世皇帝は後宮に引きこもり、酒色にふけった。政治の実権は、趙高が一手に握り、地方の反乱に関する情報も趙高が適当に操作し、皇帝に伝わらない。

前207年、各地の反乱で秦は滅亡寸前となり、首都・咸陽かんようの周辺地域のみとなる。項羽の配下であった劉邦(後の前漢の初代皇帝)の反乱軍が、近郊まで進攻してきた。もはや首都陥落は、時間の問題だった。