長州征伐では歩兵隊長として「奇兵隊」を撃退

湊が29歳の慶応2年(1866)は、第二次長州征伐が起こされた年である。

松江藩は6月の初め、大村益次郎の率いる長州軍の侵入から西隣の浜田藩を救うために、まず一之先隊を浜田に派遣したが、その番頭を務めたのが湊の父の岩苔であった。

しかし、その岩苔は出陣して間もない7月の初め、浜田郊外の陣中で病を得て、松江への帰陣を余儀なくされる。それに代って、今度は息子の湊が、歩兵隊長(者頭)として石見(島根県西部)との国境の口田儀へ派遣され、晩秋まで一番手隊の歩兵を指揮して、長州軍との睨にらみ合いを続け、藩主から陣地では袴地を、松江へ帰陣した後には、綿入れ1着に銀1枚を賜った。右手を海にし左手を山とした石州口せきしゅうぐち(口田儀)の戦場で、湊は騎馬で突進して来る長州の奇兵隊を挟撃し、鉄砲の弾を浴びせて撃退するという武勲を上げたという。