4年ほど働き、アンダーセンのマレーシア法人へ駐在に。きっかけは元駐在のパートナーと仕事で一緒になり、夜飲んだときの会話だった。待遇は国内と変わらなかったが、現地でも頭角を現し、日系企業を中心にクライアント280社を抱えるまでになった。だが顧客が増えるにつれ、1社に割ける時間は必然的に減り、きめ細かいサポートが困難になる。ジレンマと、現場でクライアントと接していたいとの思いから独立を決めた。
「会計士が駐在先で辞めるというので、ずいぶんもめました。ローカル採用で引き留められもしましたが、それでも退社して小さなオフィスを借りました。でも、ファクスを置いてインターネットをつなげたら、もうほかにやることがない。仕方がないから、知っている人たちと毎晩、飲み歩いていました。ありがたいことに、みなさん、優しかった。とくにマレーシアにいた日系の社長さんたちは、可能なかぎり仕事を振ってくれました。
ただ、仕事はあっても出費のほうが多かった。最初は日本に事務所をつくったのと、プライベートでも最初の妻との離婚があり、2つの国の往復で大変でした。02年のちょうど日韓ワールドカップのときで、まわりは盛り上がっていましたが、自分はどん底でした。
でも、つらい経験ができて、運がよかった。それまでは何でも1人でできると思い上がっていました。ところが、じつはずっと家族や友人、お客さんたちに支えられて生きてきたのです。自分の力だけでやれることは本当にちょっとしかなくて、みんながいるからこそやれることがほとんど。ぼろぼろになって、初めてそれに気づくことができました。
実際、ほんとうに運はよかった。それというのも、たまたま02年にアンダーセンがつぶれて、現地で後任だった人間や、優秀な仲間たちで、一緒に何かやれないかという話が出てきたのです」