松平定信に完全否定された政策
意次が老中を辞めさせられてから蟄居を命じられるまで、1年余りの期間があり、その間に老中に就任したのが松平定信(井上祐貴)だった。
8代将軍吉宗が将軍の血筋を絶やさないために、自分の子や孫を家祖にしてつくった田安家、一橋家、清水家。その御三卿の筆頭である田安家に生まれ、聡明で将軍候補ともいわれながら、白河藩(福島県白河市)の松平家を継がされた――。そんな定信は、自分を白河に追いやった張本人として、意次を恨み続けてきた。
それだけに老中になると、いわばキャンペーンのように「反田沼」を高々と打ち上げ、田沼時代の政策を否定していった。
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