「新自由主義批判」はどこが間違いなのか
今回の世界的な金融危機とそれに続く経済危機について、「新自由主義」の失敗や破綻と捉えたり、ゆきすぎた自由主義が引き起こしたなどという批判がある。しかし、そうした議論のほとんどは、新自由主義に対する誤解に基づいている。
日本では小泉構造改革を新自由主義的な経済改革と見なして、今日の政治状況や経済状況と関連づけようとする議論がよくなされる。しかし、小泉改革と新自由主義は同一視できるものではない。
改革の目玉だった郵政民営化にしても、財政投融資の改革は2001年段階でほぼ完成していたし、郵政公社もすでに発足していた。小泉政権が行ったのは郵政公社の民営化だけで、郵政民営化は単に選挙のスローガンとして使われたにすぎない。
小泉改革の功罪を格差拡大とリンクさせる議論もあるが、こちらにはある程度の正当性がある。つまり小泉政権が所得の再分配に関してあまり積極的でなかったのは事実だ。たとえば公共事業を抑制したことで公共事業に依存している地方の所得が減ったのも事実だし、地方と大都市の所得格差が開いたのも事実。しかしそれが新自由主義的な政策の結果かどうかは、大いに疑問がある。
そもそも新自由主義は経済思想として厳密に定義されている言葉ではない。「新自由主義的政策」や「新自由主義者」という言い回しは、通常、反対する立場の側から非難を込めて使われることが多いのだが、巷に溢れている新自由主義なるものは、一つの体系的な経済思想を指しているわけではないのである。