小泉改革には所得再分配の哲学はない
派手な言動から新自由主義の旗手とされるフリードマンだが、彼の経済学者としての活躍とサッチャーの経済政策を結びつけるのはいささか牽強付会だろう。経済思想の面でサッチャーに大きな影響を与えたのは、ハイエクである。
「市場に代替する仕組みは存在しない(There is No Alternative to Market、略してTINA)」はサッチャーの有名な言葉だが、それを早くから提唱してきたのがハイエクだ。TINAの認識が正しいことは、経済理論的にはすでに結着がついている。現実世界でも旧ソ連や東欧圏の社会主義経済の失敗という形で証明され、ハイエクが行ってきた仕事の意味は80年代になってようやく理解された。
しかし、サッチャーの改革にしてもレーガンの改革にしても、ことさら新自由主義という言葉を持ち出さなくても、市場メカニズムの有効性という従来の経済学の文脈から十分に説明がつく。国営企業や労働組合の影響が強い資本主義経済がゆきづまりを見せ、他方で社会主義経済の欠陥が顕在化した70~80年代に、市場メカニズムの役割を重視する方向に世界が向かったのは自然な流れであった。むしろ経済学の観点からすれば普通の政策である。
サッチャー改革と小泉構造改革を比較すると、サッチャーの場合は「あまりに大きな所得分配政策は社会の活力を殺ぐ」という明確な哲学を持っていた。そうした考えを新自由主義的と評するのは可能だが、小泉改革がそうした哲学や信条に基づいて行われたとはとても思えない。
私の理解によれば、小泉政権の経済政策の本質は金融緩和と円安政策である。これらは新自由主義とはあまり関係がない。むしろ金融緩和と円安誘導によって、高度成長以来の日本の産業構造を根本から見直すという本当の意味の「構造改革」が行われず、旧来型の産業構造が温存されてしまった。
その結果、02年頃から外需に極端に依存した形で経済回復が実現したが、それは世界的なバブルに支えられていたにすぎない。そのバブルがアメリカの金融危機をきっかけに弾け、世界的な経済危機が到来した。金融部門は大きく傷ついたものの、実体経済にほとんど問題がないアメリカは恐らく早期に回復するだろう。しかし、輸出立国で外需依存型の産業構造を残したままの日本はさらに事態が深刻化する可能性が高い。
有効需要の落ち込みが激しく、市場メカニズムでは対処できない事態に日本は見舞われている。日本の経済史上未曾有の出来事だ。有効需要の急激な落ち込みに対処するには、財政支出の拡大が唯一の方策だ。支出をすぐに拡大するには公共投資を増やすしか方法はない。
フリードマンやハイエクの新自由主義が台頭した80年代、ケインズ的な経済政策は不要になったと言われた。しかし、今や日本は戦後初めてケインズ政策を必要とする局面を迎えたといえる。
※すべて雑誌掲載当時