「素顔のままで」、「オネスティ」、「ピアノ・マン」……これらのヒット曲を生んだ「CM曲の帝王」ことビリー・ジョエル。彼は二度の自殺未遂をするなど、その半生は波乱に満ちている。本人へのロングインタビューを収録した『イノセントマン ビリージョエル100時間インタヴューズ』(プレジデント社)より、その一部を紹介しよう――。(第1回、全3回)

※本稿は、フレッド・シュルアーズ著、斎藤栄一郎訳・構成『イノセントマン ビリージョエル100時間インタヴューズ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

ユダヤ人迫害ですべてを奪われた一族

「誠実」とは何とも寂しい言葉
だって誰もが不誠実なのだから
でもそれこそが君に一番期待しているものなんだ
(『オネスティ』より)
画像=『イノセントマン ビリージョエル100時間インタヴューズ』
ビリー・ジョエル

そう問いかけて、70年代に日本でも爆発的な人気を不動のものにしたアメリカを代表するシンガー、そして世界中にファンを持つシンガー、ビリー・ジョエル。このアメリカン・ドリームを体現した男は、数々の名曲を紡ぎ出してきた。だが、その裏側では、彼の問いかけのとおり、差別やいじめ、独特の家庭環境などが渦巻いていた。

彼の原点をたどっていくと、ナチス政権下のドイツに行き着く。本人のインタビューも交えながら、ときに逆境を強く跳ね返し、ときに良心の呵責に押しつぶされそうになった若き日々を振り返ってみよう。

ビリーの父方の祖父、カール・ジョエルは、ドイツのバイエルン州で服飾製品の会社を発展させ、1930年代初めには一家でニュルンベルクの高級住宅街にある豪邸に引っ越すほど裕福だった。そのころ、ドイツではヒトラー率いるナチスが着々と力をつけていて、ユダヤ人迫害が激しさを増す中、ユダヤ人であるカール一家は会社も屋敷の所有権も銀行口座の財産もすべて政府に不当に取り上げられてしまった。