「物事に全戦全勝などはない」

1996年の前半だったか、住友銀行(現・三井住友銀行)の証券企画部次長になって、1年くらいのころだ。ロンドン、ジュネーブ、ニューヨーク、シカゴと、2週間かけてヘッジファンドを十数社、訪ねた。同行したのは、銀行全体の経営戦略を考える企画部の次長ら2人。1千億円規模の資金運用を任せ、「安定的に稼ぐ」という趣旨に沿ったヘッジファンドを、みつけるためだった。

SMBC日興証券 会長 久保哲也

バブルの崩壊後、想定以上に不良債権が膨らんでいた。株価が下落し、保有株の価値が下がり、いざというときに売却益を出す「コメびつ」のコメも、細っていた。企画担当専務から「何か新しい収益源をみつけろ」と檄が飛ぶ。それを受け、企画部次長がヘッジファンドの活用を考えると、彼の上司が調査や立案に指名したのが、初めての証券業務についてまもない自分だ。四十二歳。いまも「あれくらい真面目に出張して記録した例はない」と思うほど、「目的に真っ直ぐ進む」を貫いた。

3年前まで7年近く、ロンドン支店で勤務した。でも、不動産融資の担当で、証券業務の経験はない。なのに、なぜ、1千億円もの資金を海外に投じる新規業務の先導役に選ばれたのか。ロンドンで際どい話をいくつもさばき、腹が据わった点に目を付けたのか、1つの道を真っ直ぐに進む姿勢が認められたのか、わからない。

ヘッジファンドとの面談は、米国の投資銀行が設定してくれた。会うと、多種多様な投資理論や投資観があり、どこの話も面白い。当時の日本には、そうしたプロ集団は、まだいない。帰国し、調べた内容をまとめ、銀行内を説得する提案書をつくる。候補にしたヘッジファンドは、トップの人となりで決めた。損得が大きくなる手法ではなく、いくつか専門的なヘッジファンドに分散投資をする「Fund of Funds」として、安定的に利益を確保する。その約束をぶれずに続けてくれると判断し、シカゴに本拠を置くGCMグロブナーを選ぶ。ヘッジファンドが日本から多額を預かるのは初めてだ、と聞いた。

予想通り、「そんなものを銀行がやってはいけない」との声が、行内で噴き出す。でも、闇雲に突っ走るわけではない。よく調べ、よく考えた。「物事に全戦全勝などはない」ということも、誰よりも知っている、と自負もある。説得は大変だったが、担当専務や関係部長らの推進力で、実現した。