最高益更新、構造改革の真っただ中、イノベーションの途上……。それぞれの局面で求められているのはどのようなリーダーなのか。

無人ダンプトラック運行システムやICTブルドーザーなど、先駆的な製品やサービスで知られるコマツ。この4月に就任した大橋徹二氏は米国子会社社長を務めるなど、豊富な海外経験の持ち主である。

――これまでに困難を極め、乗り越えた仕事には何があるか。
コマツ社長 大橋徹二氏

【大橋】赤字だった海外子会社の鉱山機械事業の立て直しだろう。2004年、私は鉱山用ダンプトラックの開発と生産、販売を行っているコマツアメリカの社長に就任した。当時は鉱山不況で大赤字のうえ、製品の耐久性に問題があり厳しい局面にあった。坂根社長(当時)からは「ラストチャンスだ。これでうまくいかなかったら、うちの鉱山機械事業は厳しい」と送り出された。

そのとき私の頭にあったのは、かつてコマツが社運をかけて取り組んだ一大プロジェクト「マルA対策」だった。1960年代、資本自由化によって最大のライバル、キャタピラー社の日本上陸が決まったが、当時のコマツ製品は同社と比べ品質に大きな差があった。コマツはグローバル競争に耐えうる水準まで品質を改良するため、組織の質や信頼性まで含めたTQC(総合品質管理)活動を導入。短期間で品質の信頼性・耐久性を向上させ、生き残った。

アメリカでもマルA対策と同様の取り組みが必要と考え、Mining(鉱業)のMを取って「プロジェクトM」と名づけ、製品の設計から製造、販売、アフターサービスのすべてにわたる品質改善に取り組んだ。

オフィスと工場は150マイルほど離れていたが、1カ月に3回の頻度で工場に足を運んだ。1回につき3日間くらい時間をかけて設計からアフターフォローの仕方までしつこく改善していった。

何度も足を運ぶうちに、「社長は3回現場に来て終わりだろう」と思っていた現場にも本気度が伝わったようだ。品質が徐々に改善。同時に鉱山機械市場が回復し、売り上げが伸びていった。事業の立て直しは時間をかけすぎると現場が疲弊してしまう。集中して取り組み、2年くらいで黒字化できたことで、従業員たちは「自分たちが頑張った成果だ」と思ってくれるようになった。

いま、当社が利益を上げているのは鉱山機械事業のおかげ。その半分以上がコマツアメリカによるものである。このときの経験から、本音で話し合える胆力、気力、時間が大事だと思うようになった。