さて、これからの「日本の家計」の行方についてお話をしておきたいと思う。
私は先日、富山県に行く機会があった。富山は共働き率が高いと同時に、全国一、親との同居率の高い地域として知られている。若い夫婦が親世代に子供の面倒を見て貰いながら共働きをするのが、富山では当たり前である。しかも、1戸当たりの敷地面積が広いため、同居といっても同じ敷地内の別棟に暮らしている場合が増えており、同居ストレスが少ない。それゆえ、県民の幸福度も高いのである。
私は、富山に代表されるこの集住スタイルこそ、近未来の「日本の家計」の理想像ではないかと考えている。
高度成長期以降の日本は、ひたすら「個」として快適に暮らすことを目指してきた。核家族を形づくり、子供に個室を与えることが親の甲斐性だと考えられてきた。
しかし、これまでも再三指摘してきたように、人は集まって暮らしたほうが生活コストを抑えられる。3世代が同居し、テレビとエアコンを居間だけに設置すれば、家族は自然に居間でだんらんするようになり、耐久消費財の購入費だけでなく、電気代も劇的に安くなる。
先日、高福祉国家といわれるスウェーデンに視察に行ってきたが、高福祉の実態が徹頭徹尾「個」を基礎にしたものであることがよく理解できた。そして、スウェーデンのような社会は、長い間集団で農業を営んできた歴史を持つ日本人にとって、必ずしも暮らしやすいものではないというのが私の率直な感想だった。やはり日本人には、家族や何らかの集団を基礎とした生き方が自然なのではないか。
大家族への回帰こそ、アベノミクス後の家計を救うキーワードになる。再び“ファミリーの時代”がやってくると、予言しておきたい。