如月家のタブー
筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。
如月さんの最大の苦難は、母親の存在だった。
父親との夫婦仲は良好とはいえず、父親の実家で信仰していた宗教を父方の祖父母よりも熱心だったことから、もともと母親はその宗教に興味があって父親との結婚に踏み切った可能性もある(「短絡的思考」)。
その母親は如月さんの同級生や彼氏にまで宗教の勧誘をしていた。そこから、如月家は社会から「断絶・孤立」していたことが想像できる。信仰仲間はいただろうが、強引で、しばしば会話が通じないところがある母親は、仲間からも浮いた存在だったに違いない。そんな母親に対して、如月さんだけでなく夫や舅姑も「恥ずかしい存在」と思っていたふしもある。
その証拠に、如月さんが子どもの頃から、祖父母や父親はなるべく母親と関わらないようにしており、高校卒業後に県外の大学に入学した兄は、家を出てからほとんど実家に帰ってこなかった。如月さん自身も現在、健在の祖母に会いに実家に帰ることはあっても、母親にはなるべく会わないようにしている。
毒母の連鎖は止められる
如月さんは「母は毒母だったと思います」と切り出し、こう反芻する。
「母の母、つまり私の母方の祖母も毒を持っていたので、そうした家庭環境に育ったから、母も毒母になった。仕方ないことで、可哀想な人だなとは思います。発熱したらお粥を作ってくれる、病院に連れて行ってくれる、学校で熱が出たら迎えにきてくれる、友達の誕生日プレゼントを買ってくれるなど、母親らしいことをしてくれたことも覚えていますし、感謝もしています。ただ、精神的に不安定な人なので、ひどく八つ当たりをする時があり、話を一切聞いてくれない、私の話を信じてくれないといったこともしょっちゅうで……。傷つくことをたくさんされてきたから今も恨む気持ちが残っている、という状態です」
聞けば、母方の祖母は男尊女卑が激しく、礼儀作法に厳しく、娘の交友関係や言動に口を出しすぎる人だった。
「『あんな子とは付き合うな』『そんな安物を買うな』などと過干渉されていたと母から聞きました。安いものを買ってもらえなかったため、母は安いもの好きになりました。『将来の夢は“貧乏”だった』なんて意味不明なことを話していて、『苦労してこそ幸せがある』と私たち子どもに無理やり苦労をさせてきました」
母親の育った環境は裕福だったそうだが、不自由かつ居心地の悪い家だったということだ。
現在、如月さんは、4人の子ども(未就学~小学生)を持つ母親だ。子育てしていて、「祖母の毒を引き継いだ母から自分も毒をもらってしまった」と思うこともあった。
「2人目までの子育てではそう思うことがありました。八つ当たりし、暴言を吐き、ヒステリックになって……。人間関係がうまくいかず失敗ばかりでした」
しかし、「このままではいけない」と思った如月さんは、子育てセミナーに参加して勉強したり、本を読んだりして学び始める。それと同時にブログを始め、現実ではもちろん、ネット上でもたくさんの人と出会い、人との関わりの中で精神的に成長した。
「おかげで、母のように子供に八つ当たりしてしまうことはなくなりました。夫の両親は心優しい人で、夫の奥底にもそうした面がありました。一時期、モラハラ亭主だったこともありましたが、彼の子どもへの接し方や考え方には学ぶことがあります。
思えば、私の人生や、私たち夫婦の転機は、私が30歳の時に再び働き始めたことにありました。33歳くらいの頃には仕事が軌道に乗り、金銭的にも余裕ができたことで、家事代行サービスを利用するなど、お金で解決できることが増えたのも大きいと思います」