ローマ教皇を引き合いに出すのは妥当か

しかし、彼女の反論については、それが有効なものなのかどうか、そこに大きな疑問をいだかざるを得ない面がある。

葛城氏は、ローマ教皇やダライ・ラマ法王のことを反論の材料にあげている。たしかに、ローマ教皇はこれまですべて男性である。しかも、カトリック教会では、女性が神父になることを認めていない。それは、プロテスタントとの決定的な違いで、プロテスタントでは女性の牧師がいくらでもいる。

ダライ・ラマも、現在で14世になるが、こちらもすべて男性である。チベット仏教では尼僧もいるが、女性がその最高位につくことはない。

その点で、葛城氏の反論はもっともなものに思えるかもしれない。けれども、国連の委員会が、この二つのケースを女性差別の実例として問題視することは考えられない。というか、制度的にあり得ないのだ。

というのも、勧告の対象となるのは、「女性差別撤廃条約」を批准している国連の加盟国にかぎられるからだ。日本はその対象になっているが、ローマ教皇の居住するバチカン市国は国連の非加盟国である。常任のオブザーバーの地位にはあるが、投票権は認められていない。それに、カトリック教会は世界に広がった宗教組織であり、国連と直接に関係を持っているわけではない。

皇室を政治の問題として扱う国連の立場

ダライ・ラマの場合には、かつてはチベット政府の元首であったものの、現在ではチベットから追い出され、亡命政権となっている。チベット亡命政権は国連には加盟していないし、チベットは中華人民共和国の領土となっている。

したがって、国連の委員会が、ローマ教皇やダライ・ラマが男性ばかりである点をとらえて、それを女性差別として、その是正を勧告することは、そもそもあり得ないのである。

果たして葛城氏は、その点を理解しているのだろうか。

日本の天皇をローマ教皇やダライ・ラマと並べて論じることは、葛城氏が、それを宗教の問題として扱っているという印象を他の国に対して与える可能性がある。

国連は、それをあくまでそれぞれの国の政治の問題として扱っているのであり、そこにはどうしてもズレが生じてくる。それは、複数の委員から「国連は他の王室がある国にも言ってきたので、日本にも言っているだけ」という声があがったところに示されている。皇室も、王室一般ととらえられているのだ。

ヨーロッパの王室でも、かつては男性しか国王になれないところが多かった。ところが、第2次世界大戦後、男女同権の考え方が広まることで、第1子が男女を問わず王位を継ぐ「長子相続制」をとる国が増えてきた。今なお、女性の王位継承を認めないのはリヒテンシュタインだけになった(朝日新聞2024年10月30日)。国連の委員の念頭には、こうしたことがあるわけである。

リヒテンシュタイン公国の元首・第13代公爵ハンス=アダム2世(写真=Presse- und Informationsamt, Vaduz/Items with VRTS permission confirmed/Wikimedia Commons