三淵嘉子は尊属殺事件に似た事件も担当していた

この事件が「虎に翼」の展開の基になったのでは? というエピソードもいつくか紹介されている。冒頭の内藤頼博さんが明かしたのは、ドラマ終盤で展開した「尊属殺事件」に酷似した事件ついて、嘉子さんが涙していたという話だ。

「三淵さんが東京家庭裁判所で少年事件を担当しておられたときのこと、『今日は審判廷で泣いてしまった。恥ずかしかったけれど、どうにも涙が抑えきれなかった……。』といわれたことがある」

その審判とは「親殺し」であり、実の父親に肉体関係を強要されていた少女が、ようやく得た恋人との結婚を妨害されて、思いあまって実父を殺してしまったという事件だという。実の父に娘が性虐待される、恋人との結婚を妨害されるという点が、昭和43年に起きた栃木県の「尊属殺事件」と共通している。

「三淵さんは、親殺しにまで追い詰められた少女の心情のあわれを、涙なしに聞くことはできなかったのである」と内藤さんは書く。

【参考記事】実父に14歳から性虐待され5児を産まされた娘を弁護士はどう救ったか…朝ドラ最後の山場「尊属殺人事件」の真相

続けて「三淵さんの少年部における活躍は目ざましかった。少年審判という制度も、三淵さんによって命を吹き込まれた」と書かれているように、さまざまな罪を犯し家庭裁判所に連行された少年たちと面談し、更生するように導くことにやりがいを感じていたようだ。

非行少年たちを更生させることがライフワークだった

嘉子さん自らこう綴っている。

「私が扱いました少年事件の中には、殺人事件もありましたし、強盗事件もあったし、悪質な事件も沢山ありましたが、どんな事件でも、少年と一対一になって裁判をする際には、少年の中にある純粋な人間的な心が感じられて、私は、この少年は今は悪くても、大丈夫必ず良くなる可能性はあると信じて頑張ってきました」
(初出『世論時報』昭和58年6月号)


「私の長い少年審判官生活を通じて、到底改善の見込がなく、生来の犯罪人ではなかろうかと絶望的な思いで見送った少年は二人か三人に過ぎません。その他の少年達はどんなに非行性が進んでいるように見えても、何かのきっかけがあれば或いは立直るのではないかという希望を捨てませんでした」
(初出『別冊判例タイムズ』昭和54年12月号)

こういった自筆の文章からは、「虎に翼」でサイコパス的な頭脳犯として描かれた少女・美佐江(片岡凜)を連想できる。ドラマ最終話まで美佐江とその娘のケースが描かれたのも、嘉子さんが少年事件に情熱を傾けたことを表現したかったのかもしれない。

「少年事件は、私の生きがいでした」と記し、そう言い切った嘉子さん。再婚して優しい夫と家族にも恵まれた。亡くなる直前、お茶の水の東京女子高等師範学校付属高校時代からの親友である平野露子さんに送った手紙にはこう書いてあったという。

「夢中で走り続けた人生に何の悔もありませんが、今毎日毎日何もすることなく、しかもそのことによってなんの不都合もない生活をしていますと夢のようです」

平野さんは、こう続ける。

「最後のお別れは白い花に埋もれすさまじい闘病の苦しみもなく安らかに、まるで少女の時の面影さえあって涙が溢れた。稀にみる偉大な女性のそれでいて常に微笑を絶やさない親しさ、それが嘉子さんだと思う」
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