明るく人間的魅力にあふれ、情熱的なトークで周囲を魅了した

嘉子さんが明治大学法学部で講師として民法のゼミを受け持っていたとき、ゼミ生だった長沢幸子さんは、こう書いている。

「丸くふくよかなお顔もお姿も暖かな母性に満ちて、思わず甘えたくなる感じ。でも高い大きなお鼻とお口許に、威厳と知性が……。そして、何よりもあの大きなお目。お話に熱中されると、キラキラと情熱的に、妖しい迄に輝きを増し、知らず知らずのうちに一同、先生のお話の世界に引き込まれていくのでした」

原告、被告、弁護士、調査官などと話し合いを重ね、裁判では判決を言い渡す役割の裁判官だけに、話し方はうまく、説得力があったと多くの人が証言している。

「いつも変らない明るい笑顔と歯切れのよい情熱的な話し方は、独特の説得力があり、話をきく者を魅了しました」
「彼女の論説は、相当シリアスでありながら、それが少しもギスギスせず、和やかに聞こえる」
「満面に笑みを浮かべながら、一人一人に語りかける様にして、美しいお声で話される」
「甘くて張りのあるよく通る声でなさる発言は、例外なく満座の注目を集めた」

後妻に「家なんか返してあげなさい。私も再婚よ」と説得

中でも具体的で面白いのは、嘉子さんの浦和家庭裁判所所長時代のこととして、調停委員だった土肥重子さんが明かしたエピソードだ。

「ある調停で、亡くなった夫を看病し続けてきた婦人と、前妻の子との間で、遺産分割でもめた。どちらも譲らず、どちらも言い分のみ言いつのり、感情的になっていた。調停委員の私たちは、これは審判に移行しなければ決着しないのではないかと、考え始めていた。
その時、三淵さんが、サッサッと入って来られた。三淵さんは婦人の前にすわり『あなた、再婚でしょ? 私も再婚よ――いいじゃないの。家なんか。返してあげなさいよ。私、再婚だから、あなたの気持分かるの』
といって、ジッと婦人の目を見た。
調停はこの一言で決着の糸口がついた。あの呼吸は、誰にも真似が出来ない。男性にはもちろん出来ない」
現在のさいたま家庭裁判所(さいたま地方裁判所内)。2001年までは浦和家庭裁判所であり、三淵嘉子は1973から77年まで所長を務めた(写真=Ebiebi2/PD-self/Wikimedia Commons

嘉子さんは家庭裁判所の判事を長く務め、ライフワークとした少年事件だけでなく、ドラマの前半で描かれたような離婚や愛人問題、遺産相続問題も多く扱っていた。女性の後輩の判事には「男女のドロドロした事件は苦手。それに比べて、少年はかわいいわ」とこぼしていたが、自身も二度結婚し、血のつながらない子どもたちの親になるなど、人生経験は豊富だっただけに、適任だったようだ。