先生を少し尊敬する理由
菊池さん、仕事をしているときはどこに住んでいますか。
「東北に残りたいですけど、できれば。仙台を出るとしても、東北の中で」
菊池さんの話で印象的だったことは、学校教師への肯定的評価だ。進路選択に際し、先生のほうに情報が足りない。大学までは示すことができても、その先にある「職業」のヴァリエイションを知らない——という話は、この連載取材のなかで複数回耳にした。だが、高校教師の役割は「情報提供者」だけではない。そのことを菊池さんの話で気づくことができた。
「ぼくにとっては、火を着けてくれるって言うか——なんていうんだろう、勉強してても、やっぱりやりたくないときってあるじゃないですか。そういうときに、いつも見てくれている担任の先生がタイミングよく『ちょっと直樹、おいで』って声かけてくれて『最近どう?』みたいな。話はふつうに『部活どう?』とかから始まって、最終的には『勉強頑張れよ』って言ってくれる。こっちも『よし、頑張ろう』みたいなかんじになります」
その先生は、受験や進路の「情報」とは違う何かをくれるわけですね。何をくれたんでしょう?
「何だろう? きっかけですかね、やっぱり。『TOMODACHI~』に参加できたのも、その先生の『行ってみたらいいんじゃない?』っていうひとことがきっかけですし。英語も苦手なんで、どうしようかなと思っていたら『行ってみたら? けっこういいと思うよ』って言われて」
宮城県亘理高等学校は、1898(明治31)年、郡立亘理簡易養蚕学校として、江戸時代の学問所「日就館」跡地に開設された。日就館は、亘理藩主にして伊達政宗の重臣であった伊達成実(しげざね)が文武両道を尊んだことに由来する学校だ。現在の全校生徒数は527名。平成23年度卒業生157人のうち、4年制大学進学者は21名、国公立大学進学者はいない。多数を占めるのは、専門・各種学校(59名)と県内就職者(55名)だ。つまり亘理高校では大学進学者が少ない。菊池さん、そういう進路を選択すると「うちの学校は、あまりそういう例がないから」とか言われませんか。
「うちの学校、まさにそうです。でも、60代くらいのおじいちゃん、うちの祖父くらいとかの年代ですと、亘理高ってけっこう進学多くて、東北大にも行っていたらしいんです。そのあと減っていって、お父さん世代の先生たちが自信がなくて、あまり進学を勧めないんです。『大学と専門学校どっちを先生は勧めますか』って聞くと、やっぱり楽な専門学校のほうをどんどん推してきて、大学側のほうへ行くカリキュラムを作ってくれなかったりとか」
なぜ変わったんだと思いますか。
「仙台に高校がいっぱいできたことだと思います。やっぱり街に行きたいじゃないですか。仙台が吸い上げちゃった影響はあると思います。今は、地方の学校になると二次募集が当たり前みたいなかんじです」
たとえば南の亘理や白石(しろいし)、東の港町・石巻、北の穀倉地帯の中心地・古川(現・大崎市)——菊池さんが言う「祖父くらいとかの年代」のころは、仙台以外の宮城県の町には、それぞれの地元名門校があり、その町の中学校を出た優秀な子どもたちが集まって、そこから国公立大学を目指す環境があった。今は様相が異なる。かつての名門校で、少数派である進学組の菊池さんは、勉強する環境を自分でつくらざるを得ない。
「高校の就活って、夏が終わるともう決まるんです。遅くても10月、11月くらいで。あとはやっぱり遊ぶんです。冬休みには、もうみんな自動車学校に行ってますし。進学組でも推薦とかAOで決まった生徒は、みんな入学金のためにバイトしてたりします。先輩たちの話を聞いてると、それに巻き込まれちゃって勉強ができないらしくて。自分はそうならないように、今、臨時職員の余っている机を借りて職員室で勉強してます。校長先生にお願いして。職員室だからすぐ先生に聞けるっていう利点もあるし(笑)」
高校生活、楽しいですか。
「楽しいですね。亘理高は、1学年に5つの学科(注・普通科普通コース、普通科園芸コース、食品科学科、商業化、家政科)があって、多くの資格や経験を得ることができます。手に職をつけたり、進学に有利な場合もありますし」
菊池さん、先ほどの「先生が火を着けてくれる」話、最後にもう少し詳しく話してください。
「ぼくは丈治と逆で、先生を少し尊敬している部分があって。何人もいる生徒を束ねていくうえでの人間関係の『合う、合わない』を解決していくところとか、生徒は1人ひとり違う進路なのに、そこにアドバイスして、その人のためになるように自分を犠牲にしてやってくれてるかとか、けっこう大変なところがあると思うので、ぼくは少し尊敬してます」
次回は連載取材で最後に訪れた街、岩手県釜石市で会った6人の高校生の話をお届けする。
(明日に続く)