「保育園落ちた日本死ね」への共感
忘れているのは、あの騒動についてもである。
「保育園落ちた日本死ね!!!(*1)」。
2016年2月15日に「はてな匿名ダイアリー」への投稿が話題になった頃、私もまた、保育園から落選通知を受け取り、強く共感した。
「一億総活躍」などというスローガンが飛び交い、男性の育児休業取得が推進されていた中で、保育園の枠は狭かったからである。
認可保育園ではなく認証保育園に、それも週に2回も預かってもらえた上、育児休業中で、延長してもらえた私は、かなり恵まれていたと言わねばなるまい。
当時、血眼になって保育園を探した。
入れるところを探す、一択であり、次に、どの場所なら通勤と両立できるのか、が来る。
子供のため、と考える余裕は、本当に申し訳ないが私には残されていなかった。少しでも良い環境を、なんて探す余力は、まったくなかった。
認証保育園への通園がポイント制の中で効いたらしく、無事に次の年、2017年の春から近所の認可保育園に入れた。
当初、通園を渋っていた娘には、今も保育園から続く友だちが多く、現時点での結果としては良い選択だったと思いたい。
でも今の私は、もうあの投稿へのシンパシーをほぼ思い出せなくなっている。
当事者ではなくなるとともに、数年は関心を持ち続けていた待機児童問題についての報道も、だんだんと目に入らなくなっていた。
「学童落ちた」は社会現象にならなかった
この春、「保育園落ちた日本死ね」で苦労した世代が、子供の小学校入学に差し掛かり、学童保育にも入れなかった、という声が相次いだ(*2)。
「学童落ちた」は、ここ数年、春先になると風物詩のようにSNSに多く投稿されるものの、盛り上がりは一部にとどまり、社会現象にはなっていない。
「こども家庭庁」ができて、「異次元の少子化対策」を岸田政権が掲げるほど、「こども政策の推進(*3)」に政治は熱心な姿勢を見せてはいるものの、あのブログに熱狂的とも言えるほど共鳴した空気は消えた。
ここに、私(たち)が新幹線や飛行機で子供の泣き声にイラつく理由がある。
子育ては、自分が関わっている限りは切実で、絶対に譲れない問題だからこそ、ひとたび時間が過ぎれば、完全に他人事になるからである。