故郷で家族に囲まれ安らかな最期を

故郷に行くことや墓参りをすることは、しばしばプラスの影響を与えると思います。また、故郷で最期を迎えたいと思う人もいます。

私が京都の病院に勤務していたときのことです。余命が週単位である患者さんとかかわりました。今一番気になっていることを聞くと、「故郷の鳥取で最期を迎えたい」と訴えてきたのです。

私は頭を抱えました。ホスピス・緩和ケア病棟の入院には、長い待ち時間が必要なこともよくあります。鳥取の緩和ケア病院に紹介しても、数週間ほど待たされる可能性が高い。鳥取への転院を待っている間に、京都で死亡する可能性があるのです。

予想通り病院探しは難航しましたが、幸い即断で彼女を受け入れてくれるという医療機関が見つかりました。患者さんは翌日転院を果たしました。

その後、何週間も連絡がありませんでした。忙しさにかまけて彼女のことが記憶から薄れてきた頃に、転院先の緩和ケア病棟から連絡がきました。患者さんの死の連絡です。

しかし彼女の鳥取での生活は、幸せなものだったようです。到着するや否や、たくさんの家族・親族が彼女を取り囲みました。彼女の周囲には笑顔が絶えることなく、それは死の瞬間まで続いたそうです。

彼女は故郷に包まれ、孤独がやわらぎ、強固な家族の絆を取り戻して、逝ったのです。当初診断されていた余命よりも長い頑張りをみせたのは、故郷や家族・親族のパワーゆえでしょう。

故郷への想いを実現できた方の例を紹介しましたが、一般に終末期になってから旅をしたり、遠方に転院したりするのは、容易ではありません。健康なうちに実行に移すべき。体が動かなくなってからでは、遅いのです。

終末期になって実感仕事人間の辛い思い

仕事ばかりの人生だったことを、終末期になって後悔する人もいます。仕事専従が当たり前の時代に働いていた世代では、趣味が少なかったと嘆く人は少ない印象ですが、団塊の世代よりも若い世代には、趣味のひとつやふたつも持っていればよかったなあとしみじみ語る方がいます。

仕事しか引き出しがないと、仕事ができなくなったときに辛い思いをする可能性が高くなるかもしれません。

終末期のために趣味を持つ必要はありませんが、何かを追求し続けるのは、人生の引き出しを増やし、己の糧となるのではないかと感じます。その趣味が最期まで、人を支え続けるものにもなるのです。

糖尿病になったことを機に、10kmの散歩を日課とした男性がいました。それまでは「仕事命」で散歩などしなかったのですが、「自然が美しいと、初めて気づいた」と楽しさを知ったのです。さすがに距離は短くなりましたが、散歩は末期がんになっても続け、闘病生活を豊かにしてくれました。

多くの患者さんは入院すると、「することがない」と嘆きます。でも私が出会った50代女性の患者さんは、そんな悩みとは無縁で、病床で粘土細工を作っていました。

最初の作品は、1羽のフクロウでした。フクロウは数が増え、いつしか家族となっていきました。そのフクロウを妹さんが焼き上げると、独特の光沢をもつ美しい置物に仕上がったのです。フクロウ家族は病室の片隅に鎮座し、彼女を見つめていました。

彼女にはまだ10代の子供が2人いました。画用紙にさらさらと筆を走らせ、子供たちの絵を描きました。

死の数日前まで、彼女の創作意欲はほとんど衰えませんでした。出来上がった作品は、家で彼女の夫や子供たちを今も見守っていることでしょう。