色ボケ親父

認知症を発症した父親は、80歳を目前にして性的欲求が強く現れていた。

「もともとの父は女性好きで恋愛体質だなと思っていました。常に恋をしていたいタイプ。性欲も強いほうだと思います。『若く見られるか』が服や髪色を決める基準でした。普段は見せないようにしていた欲望が、認知症で隠せなくなったように思います」

診断後1年目は、アダルトDVDや雑誌のグラビアページをデジカメで撮り、何度も再生したり、外出時にミニスカートの女性を撮ったり、デイサービスでは大きくなった自分の局部をトイレで撮ったり、雑誌のアンケートはがきに放送禁止用語を書いて送ったりしていた。

写真=iStock.com/Oleh Stefaniak
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店や施設の備品、商品を持ち帰ることもあり、食欲も増していたことから、あらゆる欲求の制御ができなくなっていたようだ。

そして2014年12月。80歳になった父親に口腔がんが見つかり、翌年から放射線と抗がん剤治療を始めることに。

下島さんは「膝の手術をしたときのようにまた麻酔から覚めたらおかしくなるんじゃないか?」と心配していると、今度の主治医は、「麻酔のやり方に配慮します」と言ってくれた。

「足の皮膚を移植するため、形成外科医も執刀したのですが、父はその医師に向かって、『先生は失敗しないんですよね?』とドクターXみたいなことを言って笑わせていたと看護師さんから聞きました。父は見た目を“若作り”するだけではなく、トレンドワードをメモして“ネタ帳”を作り、若い看護師さんとおしゃべりするのが好きな人でした」

認知症発症から2年ほど経っていたこの頃、父親の認知機能が少し改善されてきた。

「もしかすると膝の手術のときの麻酔と、その時飲んでいた薬が合わさって悪さをしたのかもしれません。薬の影響が薄れて普通に戻ってきたのかも……などと素人ながら思っています」

再婚と母娘問題

下島さんは2014年に48歳で再婚。両親の介護が始まったときに、交際相手に「一緒に住んで助けてほしい」と言って同棲したことがきっかけとなった。

2人の介護をしていると時間がなく、パートにも出られない。当時の下島さんは、朝6時に起床し、夫の弁当を作り、両親を起こしてバイタルチェックし、朝食を食べさせ、母親がヘルパーさんに入浴させてもらっている間に買い物に行き、昼食の準備をして昼食兼おやつタイムと洗濯。両親が昼寝している間に夕食の準備。夕食を摂らせ、夕食の後片付けをしていると夫が帰宅。バイタルチェックをして両親を21頃就寝させる……という生活をしていた。

この他にも、服薬や点眼、トイレ介助、歯磨き介助、片付けや翌日の準備などもあり、就寝後も数回のトイレ介助を経て、翌朝また6時に起きていた。

「介護生活が長くなると、失禁したら下着やシーツを取り替える、シャワー浴をさせる、通院が増える、食事を柔らかくして刻むなど、いろんな作業が積み重なり、負担が大きくなります。そうすると、『どうして私がここまでしなきゃいけないの? 母親らしいことをしてもらえなかったのに』という思いが湧き上がって来るようになりました」

下島さんには、どうしても忘れられないエピソードがあった。

中学の体育の授業でバスケットをしていた時、同級生と衝突して転倒するという事故が起きた。幸い下島さんは軽傷だったが、相手は足を骨折してしまった。

帰宅後、下島さんは母親に事情を話し、「一緒に謝りに行ってほしい」と頼む。すると母親は、「なんで私がそんなことしないといけないの?」とすごい剣幕で怒られたのだ。

「確かにスポーツ中の事故で、どちらが悪いというわけではありません。でもその時に、『この人は普通じゃないんだ』と感じたことを覚えています。親なら常識的に、一緒に謝りに行くべきだったと思うんです。ピントがズレてる母にはそれができませんでした」

下島さんは自分のお小遣いでアイスクリームを買い、一人で謝りに行った。

「この事が決定的になり、母との距離が広がった気がします。不衛生や肥満にならないような生活、挨拶や人との接し方など、ある程度の年齢になるまで子どもを躾けるのが親の仕事だと思うんです。それがないと『変な子』という目で見られることになります。よく、成人後のことは自己責任と言われますが、私は違うと思うんです。沼地に家を建てても良い家にはなりません。カビが生えたり傾いたり、少しの揺れでも倒壊するんです。少なくとも人生の基礎となる小学生までの親子関係は一生を左右すると思います」

両親を介護するようになった下島さんは、医療や介護関係者に頭を下げることが多くなった。

「家事は母なりに頑張っていたと思います。手が回らない時は父がご飯の支度をすることもありました。父は短気ですが、その点はマメな人でした。でも母は母なりに頑張っていたと頭では分かっていても、ふと中学のときのことを思い出し『この人は私のために謝ってくれなかったのに』と思ってしまうのです」

初めは夫に愚痴るだけだったが、次第に下島さんは、疲れているときや余裕がないとき、激怒して親たちを叱りつけるようになっていく。

そんなとき夫は、「認知症の人に言っても仕方ないんだから。俺が全部聞くから」となだめてくれた。