仏教の善悪はどこで分けるのか
昔、ある老僧に仕えていた時、訊いたことがある。
「老師、世の中の善悪は、立場によって変わりますが、仏教の善悪は、どこで分けるのですか?」
「難しいことを言う奴だなあ……」
と、渋い表情で老僧は言った。
「ワシにもよくわからんが、まあ、あることをやってみたら、これまでの人とのご縁が深くなり、強くなり、さらに広がって、新しいご縁もできてくるなら、それはやって善いことだと思うな。逆に何かしてみたら、それまでのご縁、親兄弟や友人知人のご縁が薄くなり、貧しくなって、次々と切れてしまうようなら、やめたほうがいいな」
ならば、「悪い信仰」の場合、気が付いたら、周りに同じ信仰の者しかいなくなるだろう。「善い信仰」なら、おそらくその信仰を持たない人さえ感動させるだろう。仏教徒の私がかのマザー・テレサを立派な人だと思うように。