宗教団体「エホバの証人」の信者による子供への虐待が問題になっている。宗教学者の島田裕巳さんは「信者は子どもを虐待することで、困難な課題を克服したという達成感を得る。そして、信仰はより強化されていく。だから虐待が続いてしまう」という――。(第2回)

※本稿は、島田裕巳『日本の10大カルト』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

「エホバの証人」の信者だった親が子どもの輸血を拒否

この集団のことが社会的に大きな話題になったのは、1985年に起こった、「輸血拒否事件」を通してだった。

1985年6月、川崎市で交通事故にあった小学校5年生の男児に対して、エホバの証人の信者だった両親が輸血を拒否し、男児が死亡する事件が起こった。これによって、輸血拒否の是非が問われたのだった。

「エホバの証人問題支援弁護団」の設立について記者会見する田中広太郎弁護士(右から2人目)ら=2023年2月28日、東京・霞が関の弁護士会館
写真=時事通信フォト
「エホバの証人問題支援弁護団」の設立について記者会見する田中広太郎弁護士(右から2人目)ら=2023年2月28日、東京・霞が関の弁護士会館

この事件については、ノンフィクション・ライターの大泉実成が『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』(現代書館、後に講談社文庫)という本を書いている。

これをもとに1993年にはビートたけし主演でテレビドラマ『説得』が作られている。このドラマは平成5年度文化庁芸術祭芸術作品賞を受賞しており、事件の複雑さを世間に印象づけることとなった。実際、この事件以降、医学界は輸血拒否に直面したときの問題に苦慮するようになる。

2000年には、輸血をしないで不測の事態が起こったとき病院側の責任は免責するという同意書に患者が署名していたにもかかわらず、患者の生命に危険が生じたときには輸血をするという方針で手術に臨んだ医師が、その方針を患者に説明しないまま輸血を行ったとして損害賠償を請求され、それが最高裁で認められるという出来事も起こった。信教の自由が優先されたのだ。

なぜ輸血を拒否するのか

その理由は聖書に求められる。旧約聖書の「創世記」9章4節には、「生きている動く生き物はすべてあなた方の食物としてよい。……ただし、その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない」(『新世界訳聖書』)とある。

新約聖書の「使徒の活動」(一般には「使徒行伝」あるいは「使徒言行録」)15章20節にも、「偶像によって汚された物と性的不道徳と絞め殺された動物と血を避けるよう書き送ることです」とある。

旧約聖書は、もともとはユダヤ教の聖典で、そこでは、信者が守るべきさまざまな律法が示されている。そのなかには食物規定があり、豚などの動物を食べてはならないとされている。これをユダヤ教徒やイスラム教徒が守ってきたことはよく知られている。血を食べてはならないという神のことばも、こうした食物規定に含まれるわけだが、通常は動物の血を飲むことを戒めたものと解釈されている。

ところが、エホバの証人では、それを、世間の目から見れば拡大解釈し、他人の血を体内に取り込む輸血についても血を食べる行為としてとらえている。しかし、手術を行うには輸血は不可欠である。輸血を拒否することで、エホバの信者は亡くなる可能性がある。それは、エホバの信者の子どもについても言える。