中国ではかつて「外資=台湾企業」だった
中国の改革開放政策は、1978年に鄧小平が提唱し、1980年代以降、人民公社の解体などとともに本格的に推進された。
当時の経済状況は非常に厳しかった。6億5000万人の農民は、衣食には困らないものの、土地が極端に少なく、働く場所が不足していた。社会問題として余剰労働力の処遇が急務となった。
都市部では、破綻寸前の国営企業が人員削減を迫られ、リストラ対象の労働者は4000万人に達していた。これらの人々も就職先を探していた。
そんななか、台湾企業が本土に進出してきた。1980年代当時、外資企業といえば、おもに台湾企業のことを指していた。香港企業も存在したが、規模では台湾企業に及ばなかった。
日本企業やアメリカ企業など、ほかの外資が進出してきたのは90年代後半になってからだ。
「同じ中国人」の共感を利用して成功した
台湾企業は、日本企業から学んだ生産や品質管理のノウハウを活かし、「同じ中国人」という共感や認識を利用しながら、中国本土でビジネスを成功させた。
当時(1990年代以降も含めて)、中国本土で名を馳せた台湾企業としては、フォックスコン(ファウンドリー)、ASUS(パソコン)、クアンタ・コンピュータ(パソコン)、英業達(パソコン)、友達光電(TFT-LCD)、奇美電子(TFT-LCD)、頂新(食品)、統一(食品)、宝成(スポーツ用品)などがある。
統計によると、1990年から2021年の間に、台湾企業8万社が中国本土で4万4577件のプロジェクトを実施、1940億ドルを投資し、8000万人の労働者を雇用した。
間接的な影響も含めると、台湾企業の進出により2億人以上が就職の機会を得たことになる。
これらのデータを見れば、改革開放初期に台湾企業が果たした経済的役割の重要性は明らかだろう。