「それ、昨日も見たよ」という言葉は飲み込む

このような不毛な言い合いを何度したか、とても数えきれない。しかし、予想外の自損事故により父の乗る車がなくなったため、とりあえず、父が人身事故を起こすのではないかという不安からは解放された。

父は事故後に体調不良が続き、高血圧の治療をしている。脳神経内科も受診して、記憶を司るところに機能していない部分があることがわかった。「長谷川式認知症スケール」の検査結果を総合し、認知症と診断された。

父の認知症は、新しいできごとは忘れてしまうが、昔のことは不思議な程よく覚えているのが特徴的だ。

「おまえに見せたことのないアルバムを見つけた」

そう前置きして、私の前で毎日開くのは、父が勤めていた会社の1980年(昭和55年)の記念アルバムだ。写真の中の父は、仕事に脂の乗った生き生きとした顔で映っている。

「この人は、お酒が強かった」「この人とは、よくゴルフをした」等、当時の同僚たちの特徴を、父は細かく、懐かしそうに説明してくれる。

父が認知症だとわかったことにより、私の関わり方が自然に変わってきていた。よく言えば優しくなったから、「それ、昨日も見たよ」という言葉は飲み込む。初めて見て興味を持ったふうを装って父に言う。

「パパ、懐かしいね。私もそのおじさんのこと、覚えているよ。海水浴に行くバスの中で、膝にのせてくれたの。がっしりとした体の人だったね」

写真=iStock.com/StockPlanets
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気持ちに共感して寄り添えば、笑顔を引き出せる

昭和の時代は、会社主催で運動会や海水浴等のレクレーション大会が毎年開催されていた。子どもの頃に何度かお会いしたことのある方々が、集合写真に並んでいる。父の思い出を共有できるのは、1人娘である私しかいない。

明るく思い出話を始めると思いきや、父は亡くなった人に、赤いボールペンで小さく×印を付け始めた。

「この人もいなくなった……この人もいなくなった……」

前列にいる人たちは、父と同期か先輩の方ばかりだ。全員に赤の×が付いてしまった。私は慰めにまわる。

「それは、寂しいね」

父はしょげて、肩を落としてつぶやく。

「うん、寂しい。知っている人が、誰もいなくなった」

親、兄弟、妻、友人。大切な人が誰もいなくなるのは、寂しさを通り越して、恐怖すら感じるのではないだろうか。

私も父のように長生きしたら、同じように、この世に1人取り残される寂しさを味わうのだろう。将来の自分を励ます気持ちも込めて、私は必死で言葉を探した。

「大丈夫、パパには私がいるし、孫もひ孫もいるじゃない」

すると父は、ニコッとかわいい微笑みを浮かべて言った。

「そうだな。俺は幸せだ」

認知症であることを前提に、父の気持ちに共感して寄り添えば、笑顔を引き出せることが、ようやく私にもわかってきた。