どうしたって娘は帰ってこない

――老朽化していたとはいえ、しっかり耐震措置を施していたとしたら、あるいは非常時の搬送計画が立てられていたら、と考えずにはいられませんね。

私も後悔が尽きないんです。病棟の老朽化を知っていたのに、なぜ地震を想定してほかの病院に転院させなかったのか。震災後にDMATの先生に「ドクターヘリで運ぶことができたかもしれない」と聞きました。もしもドクターヘリで運んでもらえたら、いまも元気だったかもしれません。

私の選択が間違っていたのではないか。母親の私の責任なんじゃないか、と。あのとき別の選択をしていたら、いまも花梨は元気だったかもしれない。いまもそう考える瞬間があるんです。

――どういう経緯で、花梨さんが災害関連死だとお気づきになりましたか?

亡くなって1カ月が過ぎた頃に、花梨も災害関連死なのではないかと親戚に教えられました。それまでは災害関連死という言葉も知らなかったんです。

調べてみると、自治体に災害弔慰金を申請したあと、審査会で災害と死との関係性が判断されて、災害関連死に認められるという流れでした。災害弔慰金とは、災害の犠牲者になった遺族が国や自治体からいただけるお見舞い金です。

正直に言えば、当時の私は、災害関連死に認められようが、認められまいが、どうでもいいと考えていました。だって、災害関連死に認められたからといって花梨は帰ってきませんから。

筆者撮影
花梨ちゃんの仏壇

病気だけじゃなくて、地震とも戦った証明になる

もうひとつ引っかかっていた部分があります。災害関連死に認められるということは、災害弔慰金をもらうことです。娘の人生がお金に換算させられるようで、申請には抵抗がありました。そんな私の背中を推してくれたのは、夫の言葉でした。

「花梨は病気に勝てたけど、地震が起きたから亡くなってしまった。災害関連死に認められたら、病気だけじゃなくて、地震とも戦った証明になるんじゃないかな」

でも、実際に災害弔慰金を申請してみて、とても苦労しました。申請書には、花梨が亡くなった経緯を詳しく書かなければなりません。あの日のことを思い出すのが、精神的にとても辛かった。

それに、申請に必要な診断書などの書類も遺族が集めなければなりません。被災し、家族を亡くした状況で、申請を諦めてしまう人も少なくなかったのではないかと感じます。